シンポの概要
- 主催:広島市及び(社)日本都市計画学会中国四国支部
- 日時:2009年7月18日(土)13:00〜16:45
- 場所:広島平和記念資料館地下1階メモリアルホール
- 講演:石丸氏・藤本氏・大石氏による講演
- パネルディスカッション:上記3人と山田氏・松波氏を交えて討議
講演者・パネリストの紹介
- 石丸紀興:広島国際大学工学部教授。共著「広島被爆40年史都市の復興」
- 藤本昌也:(社)日本建築士会連合会会長。大高建築設計事務所時代に基町高層アパートの計画・設計に従事
- 大石芳野:写真家(ドキュメンタリー・フォト)。戦争と平和をテーマにした写真作品を多数発表
- 山田知子:比治山大学院現代文化研究科准教授
- 松波龍一:(社)日本都市計画学会中国四国支部長
講演
- 「平和都市法とは」(市のパンフより抜粋)
- 背景 昭和20年8月6日、一発の原子爆弾で廃墟と化した広島市の復興は、人口の急減や建物の壊滅等による税収の激減で、財政状況が極度に悪化したため、遅々として進まない。
- 目的 第1条 この法律は、恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。
- 計画及び事業 第2条 広島平和記念都市を建設する特別都市計画(以下、平和都市建設計画という。)は、都市計画法第4条第1項に定める都市計画の外、恒久の平和を記念すべき施設その他、平和記念都市としてふさわしい文化的施設の計画を含むものとする。
- 事業の援助及び特別の助成 第3条 国及び地方公共団体の関係諸機関は、、平和記念都市建設事業が、第1条の目的にてらし重要な意義を持つことを考え、その事業の促進と完成とにできる限りの援助を与えなければならない。
- 報告及び広島市長の責務 第5条 平和記念都市建設事業の執行者は、その事業が速やかに完成するように努め、少なくとも6箇月ごとに、国土交通大臣にその進捗状況を報告しなければならない。
- 法律の適用 第7条 平和記念都市建設計画及び平和記念都市建設事業については、この法律に特別の定めがある場合を除く外、都市計画法の適用があるものとする。
- 石丸紀興「平和都市法の成立とその後、そして未来に向けて」
- 広島の戦災復興計画 ・広島の街を特色付けるものは、平和大通りと平和記念公園と河岸緑地
- 平和都市法の成立過程 最初から平和都市法を目指したのではなく、事業費の切迫からひねり出された苦肉の策であった。
- 法の成立を総括 ・日本の官僚・政治家に陳情しても埒が明かないので、GHQに協力要請
- 法の効果 ・単なる戦災復興ではなく、恒久平和を象徴する平和記念都市を建設していこうという精神的なバックアップ
- 法の今後 ・憲法第95条(特別法)を削除する動きもあるが、残すべき。市民の認知度が低いのが気になる。
- 藤本昌也「広島の復興と今後の都市再生に向けての課題」
- 基町高層アパートの建設(1969〜1978年) ・1968年から計画に携わる。当時、原爆スラム街と呼ばれた応急住宅を一掃して、高層アパートに移転させる事業
- 広島の街づくりの提案 ・広島の特色(公共財産)である川・海・山の構造を生かした都市空間
- 大石芳野「若い世代に伝える戦争の記憶」
- 戦禍を生き延びて ・ベトナム、ラオス、カンボジア、アフガニスタン等の世界中の戦争・紛争地域を取材。戦禍を生き延び、傷ついた女性や子供達の姿は、64年前の広島の姿に通じる。
中央公園上空写真
(市の報告書より)
国に対し国有地の譲与など復興のための様々な要望活動を行ったが、全国の多数の戦災都市のなかで広島市のみに特別な財政援助を与える余地はない。
このようななかで考え出されたのが、憲法第95条による特別法「平和都市法」の制定だった。この法律により、広島市を世界平和のシンボルとして建設するということが、国家的事業として確立された。
2 広島平和記念都市を建設する特別都市計画事業(以下、平和記念都市建設事業という。)は、平和記念都市建設計画を実施するものとする。
第4条 国は、平和記念都市建設事業の用に供するために必要があると認める場合においては、国有財産法第28条の規定にかかわらず、その事業の執行に要する費用を負担する公共団体に対し、普通財産を譲与することができる。
2 内閣総理大臣は、毎年1回国会に対し、平和記念都市建設事業の状況を報告しなければならない。
第6条 広島市の市長は、その住民の協力及び関係諸機関の援助により、広島平和記念都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない。
・これらの整備は平和都市法に基づき実施された。
・国有財産払い下げ・特別補助の陳情時期(1948年末頃まで)
・復興国営請願運動期(1948年11月末〜1949年2月)
・平和都市法制定運動期(1949年2月〜5月)
・平和都市法制定(1949年5月)
・平和都市法の運用期(1949年8月公布以降)
・特定の地方公共団体のみに適用される特別法として成立
・平和を主題とした立法はめずらしい。
・広島市・広島市議会・地元選出の国会議員等、多くの関係者の尽力による。
・1950年には朝鮮戦争が勃発しており、1949年で滑り込みセーフ
・平和記念公園の設計コンペが実施され、丹下チーム案が当選。平和都市法の精神を具現化した案が実施される。
・この法は復興の礎であり、役割は薄れていない。これから魂を入れる必要がある。
・そのためにも被爆70周年を期に「復興記念館」の整備を提案。世界各地からの復興協力に対して、今度は広島から恩返しをする番である。
・ユニタール・JICA等の活動をサポートし、アフガン、イラク等の復興の参考にしてもらう。
・住宅の居住性と周辺環境との調和を図るため、立体街区を提案。人口地盤・空中の道・屋上庭園・ピロティ・屏風型配置等
・平和都市法の精神を具現化した丹下構想に戻す。中央公園北側の老朽化した中・高層アパートも将来的には公園にし、世界遺産のシンボルゾーンを拡張する。
・ヒロシマの名は世界で知られている。平和の発信はヒロシマの役割
パネルディスカッション(パネラーの意見要約)
- 石丸 ・平和都市法は経済的復興や施設等の復興には役立ったが、精神的・文化的には不十分。法の精神を市民レベルに浸透させる必要
- 藤本 ・今の日本は公共空間を共有する精神に欠けている。公共性・公益性が官益性に近い。公共空間はもっと社会化して市民の活用の場にすべき。
- 大石 ・写真で伝えたいものは、被写体が背負っている真実。形の上で戦争が終わっても、生き残った人達には終わっていない。
- 山田 ・平和都市法と現状にズレがある。広島の平和教育は洗脳的という若い世代の声が聞かれるが、受身ではなく自ら問いかけることが大事
- 松波 ・被爆都市ヒロシマは世界に知られているが、平和都市ヒロシマは伝わっていないのでは?
パネルディスカッション
・戦災復興の研究は戦前の肯定につながるという意見の人もいたが、復興について考える仕組みが必要
・都市の軸線の問題については今後考察していきたい。
・「平和」をキーワードに広島のオンリーワンの公共空間(川・山・海)を街づくりに生かす。
・若い人は今しか関心が向かないが、歴史を学ぶことは大事。広島の街づくりの大きな物語を描くためにも平和都市法を思い起こすことは必要
・日本の若者は外国人の目から見たら幼稚に見える。考える力を育てねば。
・平和大通りは市民(被爆者達)が作ったことの意味を考えるべき。
・平和とは、戦争がないこと?復興したこと?広島からの平和の発信について自問自答すべき。
・平和記念公園は聖域となっているが、楽しむ場にすべきでは。
・「平和都市とは?」を問い続ける必要がある。平和都市法の理念が市民になじみにくいか。
・基町の軸線・中央公園・平和大通り等の公共空間のあり方や使い方について、大きな構想を持って語り合う必要