アイデアコンペのメイキング(6)

特別審査委員会

前回は市民による投票・結果及びその問題点等を記述しました。今回は特別審査委員会の活動等について記述します。 但し、私の目から見たメイキングであることをお断りしておきます。

第6章 特別審査委員会

    ちらし2記事
    チラシ(投票者用)
  • 特別審査委員会の目的
  • ・コンペの入賞者は、基本的には市民の投票により決まりますが、選に漏れた中にも優秀な作品があるであろうということで特別賞を設けることにしました。
    ・その特別賞を選定する者として特別審査委員をお願いしました。その他に、特別審査委員には、市民投票の公正さを確保するために投票結果の確認と公開プレゼンテーションでの代表質問等をお願いしました。
    ・またコンペ終了後の公開討論会ではパネラーとして参加いただき、貴重な意見をいただきました。

        
  • 審査委員の選定
  • ・審査委員の中で、元広島大学教授のI先生と元広島市都市計画局長のT氏は早めに決まりました。二人とも大学でのつながりがありました。
    ・I先生は広島市の戦後の都市計画の歴史を研究対象にされており、広島平和記念都市建設法にも造詣の深い方です。T氏も広島の都市計画に行政の立場で関わっておられました。
    ・次は、審査委員長と女性の審査委員を誰にお願いするかです。審査委員長には町づくりの専門家というよりは、幅広い見識を持ち、一般市民からも一目置かれている人を選ぶことにしました。審査委員会のバランスから女性の審査委員も欲しいところです。
    ・審査委員長候補として元広島市長のH氏の名前が挙がりました。早速、意向打診の手紙を出し、会って話を聞いてもよいという返事をいただきました。H氏にお会いし、委員長を快く引き受けていただきました。
    ・2011年6月にシンポジウム「ヒロシマを世界へー原爆・平和報道を考える」が開催され、H氏とNHKの女性アナウンサーS氏が出演されるので、聞きにいきました。
    H氏は高齢にもかかわらず、報道機関勤務時代、市長時代の経験を踏まえて、パネラーとして真摯な受け答えをされていました。S氏は講演「ヒロシマに生まれて」と原爆詩の朗読をし、パネル討論の司会もこなされました。郷土広島をこよなく愛する気持ちが言葉の端々にほとばしり出ていました。
    ・この二方なら審査委員に適任と確信しました。S氏にも意向打診の手紙を出しましたが、NHKの仕事が多忙であるということで断りの電話がありました。フリーのアナウンサーではないので、止むを得ません。
     結局、女性委員が未定のまま8月4日に第1回の審査委員会を開催することになりました。
    ・女性で国際感覚のある前ユニタール所長A氏が候補に上がり、I先生の仲立ちでなんとか引き受けていただくことになりました。審査も進行中であり、途中からの加入にA氏も我々事務局も不安がありましたが、9月9日の第3回目の審査委員会に間に合いました。
     この日が最後の審査委員会であり、翌日公開プレゼンテーションと表彰式が控えています。しかもA氏は前々日にスイスから帰国されたばかりです。綱渡りのようなことの運びです。
     また、A氏は日本語が不自由なので、公開プレゼンには通訳が必要となりますが、H氏のツテでその日のうちに手配でき、当日を迎えました。公開プレゼンも上手くいき、今思えば、神がかり的です。

  • 特別審査委員会の検討
  • 提案作品
    提案作品
    ・第1回の審査委員会を8月4日に開催し、審査委員3名と実行委員会3名が出席します。
    実行委員会会長が緊急入院のため欠席というハプニングがありましたが、審査委員長にH氏を選任、第1次投票結果を確認し上位5者を特定、特別賞の審議等、予定通り進行することができました。
    ・特別賞については、候補を各自リストアップした上で、意見交換をし、次回の委員会で絞り込むこととします。

    ・第2回の審査委員会を8月18日に開催し、審査委員3名と実行委員会は会長と私の2名が出席します。
    前ユニタール所長のA氏(女性)が審査委員を受諾し、現在スイスに出張中で、9月7日に帰国予定であることを報告しました。
    ・特別賞の在り方については、「平和記念都市としてふさわしい提案か否か」を一つの判断基準とし、今回のコンペのバックボーンが平和記念都市建設法の精神の具現化にあることを確認しました。
    ・前回に特別賞の候補として挙がった作品を比較検討し、今回の結論として、特別賞の候補2作品を内定しました。また、上位5者のうち入賞から漏れる2者を佳作として救うことを決めました。

    ・第3回の審査委員会を9月9日に開催し、審査委員4名と実行委員会は会長と私の2名が出席します。 審査委員4名が揃うのは今回が初めてであり、A氏の意見に注目が集まります。
    ・特別賞の候補2作品に対してA氏の意見は、1作品は自分も高く評価しているが、もう1作品の国連機関を誘致する提案には問題があると異議が出ました。 代わりに別の1作品を推薦されました。
    ・それに対して審査委員の意見交換により、国連機関に頼るのではなく、市民レベルの活動の場と考えるべきであり、そのことを審査委員長の講評の中でコミットすることになりました。
    別の推薦作品についても、アイデアとしては良いが、対象エリアが旧球場跡地に限定され、スケールが小さいので不採用となります。特別賞として原案通り2作品を決定しました。

  • 公開プレゼンテーション
  • 公開プレゼン
    公開プレゼン
    ・公開プレゼンでは、審査委員の皆さんは説明者に対する代表質問をしていただくことにしました。提案者の説明を聞いて、会場の市民から質問が出なくても場が持つようにと思ったからです。
    ・しかし会場からも、提案者同士からも質問や意見が出たので、プレゼンテーションとしては盛り上がった方ではないでしょうか。
    ・プレゼン終了後、会場で投票を行い、事前投票と集計して得票数の多い順に入賞者を決定します。表彰式の中で、審査委員長の講評とA氏にコメントをいただきました。
    ・審査委員長からは今回の試みを継続して欲しいとの激励をいただきました。A氏からは山からの視点のアイデアが無かったこと、東日本大震災に対して広島は復興の手本であり、建築家が復興に積極的に係わるべきであるという提言をいただきました。

  • 公開討論会
  • 公開討論会
    公開討論会
    • 司会進行
    • ・コンペの入賞者と審査委員の公開討論会のコーディネーター(司会役)を誰にお願いするか。知名度のある知識人か司会のプロにお願いするのが常道でしょうが、支払うギャラがありません。
      ・審査委員の中から選ぶか、それが無理なら実行委員会の会長が担当することにしました。ただ、実行委員会があまり前面に出ることは控えたいという気持ちがありました。審査委員のT氏に打診したところ、了解をいただきました。T氏は大学の2年先輩で、行政に長く在職され、バランス感覚のとれた方だから適任です。
            

    • シナリオ作り
    • ・早速、T氏、会長、私の3人でシナリオの検討に入ります。
      ・これまでの経緯と討論会の趣旨等は冒頭の会長あいさつの中で説明し、最後のまとめは本来ならコーディネーターが行うところですが、会長が行うことにしました。
      ・今回のコンペの精神的なバックボーンとなる平和記念都市建設法等の確認は審査委員長H氏にお願いし、公園に求められる機能(コンセプト)については審査委員のI氏とA氏にお願いすることを想定しましたが、I氏が遅れて参加されることとなり、I氏の担当分を会長が代役することとなります。
      ・入賞者には、敷地の特性や各自の提案の内容等について議論してもらい、それらを踏まえて審査委員の皆さんからコンセプトをまとめる方向性について提言いただき、最後に会長がそれらをとりまとめることにしました。
            

    • 審査委員の提言等
    • ちらし2記事
      チラシ(提案者用)
      H氏:
      ・広島平和記念都市建設法の目指す都市像を念頭に置いて中央公園を考えて欲しい。
      ・ただ憩うだけではなく、生きる喜びが実感できる場、平和を実現するための活動の場にして、平和で飯が食えるようにできないか。
      ・中央公園の将来の姿はこれしかないと固持するのではなく、状況に応じて変わってもよいのではないか。
      I氏:
      ・計画を提案することは、自分が歴史に参加したという思いを醸成することが今回のコンペで分かった。
      ・広島の平和復興の物語から言えば、広島平和記念都市建設法の果たした役割は大きく、物語を完結させないで、もっと作っていく必要がある。都市づくりに結実していき、今生きている人達が歴史に関わる必要がある。
      A氏:
      ・このエリアは「祈りの場」、「平和発信の地」、「賑わいの場」等、すべての要素がそろっている。小さなことを変えるだけでも、中央公園と平和公園をつなぎ、一体感を更に高めることができる。
      ・中央公園も球場跡地もこれから姿を変えることにより、全体的なまとまりを作ることができる。
      ・現在そして未来の世代のために平和のメッセージを伝える建築の力を過小評価してはいけない。広島は戦後、賢明な建築家とその価値がわかる政治家のお陰で都市の発展を遂げてきた。
      ・広島は世界の象徴的存在であることを広島市民はよくわかっていると思うので、そのために参加してもらいたい。
      T氏:
      ・平和記念都市という大構想が、直ぐに実現できるはずはないが、広島市民が精神的・物理的に努力を積み重ねていくことが重要である。その実現にむけて、広島市長は不断の活動をしなければならないと広島平和記念都市建設法に明記されている。       

雑感

審査委員は本来ならコンペの公募要項を公表するときに決まっていなければいけません。それが今回は途中からの発表となりました。しかも最後の一人は第1回目の審査委員会開催後に決定しました。
実行委員会としては失態ですが、市民の投票によるコンペという前代未聞のコンペを試行錯誤しながら実施していたということでお許し願いたいと思います。

審査委員は、元市長H氏、元大学教授I氏、元行政マンT氏、前国連職員(外国人女性)A氏の4人です。決してタレント性があるとは言えませんが、堅実でバランスのとれたメンバーだったと高く評価しています。
特にA氏は、学生の頃建築を学んでいて、建築に対する理解が深く、公開プレゼンや公開討論会でも適切なコメントをいただきました。また、国際感覚も優れて、世界における広島のポジションを自覚され、こよなく広島を愛されています。

今回のコンペは提案されたものを実行に移すためのものではなく、提案されたアイデアをベースに市民の間で議論していただくことが最大の目的でした。その目的を達成できたとは思いませんが、小さな1歩を進めることができたのではないかと自負しています。
果たして、この先2歩・3歩と進めることができるか否かが大きな課題です。どうやって幅広く市民の皆さんの懐まで歩み寄ることができるか、そのネットワーク作りに現在腐心しているところです。

次回は広島市との関係について述べる予定です。   

*ちょっとコーヒーブレイク : 『どうしたらいいの

  (2012.6.1 記載)
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