ビデオの概要
- ワシントンD.Cライブ1964
1964年2月、収録数10曲、約30分- シェアスタジアム・ライブ1965
1965年8月、収録数10曲、約30分、観客動員数約5万6千人- パリ・コンサート1965
1965年6月、収録数11曲、約30分- 武道館ライブ1966
1966年6月30日〜7月2日、収録数11曲、約30分、観客動員数約1万人
ワシントンD.Cライブ1964
- 曲目 1.ロール・オーバー・ベートーベン
- 特徴 1964年2月9日にアメリカのテレビ人気番組「エド・サリバン・ショー」に初めて出演し、11日にワシントンD.C.のザ・コロシアムでアメリカ初のライブ・コンサートを行う。
- お気に入りシーン コロシアムだから競技場なのであろう。中央に舞台が置かれ、四方に観客席が配置されている。
2.フロム・ミー・トゥ・ユー
3.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
4.ディス・ボーイ
5.オール・マイ・ラビング
6.アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
7.プリーズ・プリーズ・ミー
8.ティル・ゼア・ウォズ・ユー
9.シー・ラブズ・ユー
10.アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド
ビートルズとしても待望のアメリカ・デビューだから溌剌とした演奏であり、「アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド」がアメリカで大ヒット中だったので、観客も盛り上がっている。アメリカでヒットする前のイギリスでのヒット曲が一度に押し寄せたので、アメリカのファンはビートルズの勢いに圧倒されたのではないだろうか。
一方向のみを正面にすると背面しか見えないゾーンが生じるため、何度か位置を変えて演奏している。ボーカルの方はスタンドマイクを移動させればよいが、ドラムセットはそうはいかない。廻り舞台の上にセットされており、その都度中断して回転させているのが可笑しい。
シェアスタジアム・ライブ1965
- 曲目 1.ツイスト・アンド・シャウト
- 特徴 この伝説的なコンサートは1965年8月15日、ニューヨークのシェア・スタジアムで演奏される。プロの野球場で開催されるのも初めてだし、5万6千人の観客数も当時としては史上最大のコンサートである。
- お気に入りシーン 舞台の脇でマネージャーのエプスタインが誇らしげにスタンドを見回し、ビートルズの演奏を見上げている姿はエプスタイン自身も興奮しているのが窺い知れる。
2.アイ・フィール・ファイン
3.ディズィー・ミス・リズィー
4.チケット・トゥ・ライド
5.アクト・ナチュアリー
6.キャント・バイ・ミー・ラブ
7.ベイビー・イン・ブラック
8.ア・ハード・デイズ・ナイト
9.ヘルプ
10.アイム・ダウン
ファンの絶叫の中をビートルズは舞台へ駆け上がり、スタートから彼らも興奮気味である。曲が進むごとにハイとなり、最後の曲でピークに達する。女性が興奮し、失神していくシーンが随所に挿入されている。
最後の演奏曲「アイム・ダウン」ではジョンが笑い転げ、キーボードを肘で演奏している。球場全体を包み込む熱気がファンも、彼らをも溶かし尽くしてしまった。終了後は参加した全員が達成感・爽快感に酔いしれたのではないだろうか。
パリ・コンサート1965
- 曲目 1.ツイスト・アンド・シャウト
- 特徴 1965年6月20日、ヨーロッパ・ツアーのスタートとしてパリのパレ・デ・スポールで公演する。白黒で画像が悪く、会場の状況がよく掴めないが、劇場型のホールではなく、体育館のような平床に仮設のステージを設けたような会場である。
- お気に入りシーン ポールのMCの中で、片言のフランス語を使う場面がある。公演地のフランスに敬意を表して、ポールのサービス精神が発揮される。「ミッシェル」でも一部フランス語を取り入れているので、ポールはフランス語のニュアンスが好きなのであろう。
2.シーズ・ア・ウーマン
3.チケット・ツゥ・ライド
4.キャント・バイ・ミー・ラブ
5.アイム・ア・ルーザー
6.アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
7.ア・ハード・デイズ・ナイト
8.ベイビー・イン・ブラック
9.ロックン・ロール・ミュージック
10.エヴリバディ・トライング・トゥ・ビー・マイ・ベイビー
11、ロング・トール・サリー
前述のシェア・スタジアムの2ヶ月前であり、収録は5曲が同じものとなっている。パリ公演の特徴は女性よりも男性の観客の方が盛り上がっていることである。フランスの文化的な何かがそうさせるのであろう。
最後の曲のMCで観客に手拍子を求め、足で床を叩く。観客も習って足を鳴らし、会場全体に床を踏む音が響き渡り、肝心の演奏の音が聞き取りにくかった。
武道館ライブ1966
- 曲目 1.ロックン・ロール・ミュージック
- 特徴 1966年6月29日に初来日し、翌30日から3日間、計5回の公演をする。このビデオが何回目のコンサートか分からないが、テレビで見たものより出来が良い。
- お気に入りシーン ビートルズの演奏が始まる前に司会のE.H.エリックが登場し、自分の席で声援してもらいたいと発言する。興奮して騒ぎを起こさないように注意したのであろう。
2.シーズ・ア・ウーマン
3.イフ・アイ・ニーディッド・サムワン
4.デイ・トリッパー
5.ベイビー・イン・ブラック
6.アイ・フィール・ファイン
7.イエスタデイ
8.アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
9.ノーウエア・マン
10.ペーパーバック・ライター
11.アイム・ダウン
観客が大人しかったので、自分たちの演奏のまずさに気づいたというビートルズの後日談が残っている。確かにアメリカに比べると静かだが、日本では喚声に音が消されてビートルズの演奏がほとんど聞こえなかったという評判であった。これも西洋と日本の文化の違いであろう。
実際には警官が各所に立って見張っていたので、立ち上がることもできなかったようだ。熱狂的なファンも情熱を発散することもなく、あっという間に終わってしまい、欲求不満が残ったのではないだろうか?今にして思えば、ビートルズ来日時の警備体制は異状としか言いようがない。
雑感
4つのコンサートを通しで見ると、共通点が窺えます。一つは11曲〜12曲を演奏し、約35分前後で終わっています。二つはロックンロールのカバー曲に始まり、最後はポールの絶叫型の曲で締めています。三つ目はその時点のご当地でのヒット曲を締めの前に歌っています。四つ目はジョージとリンゴの歌の出番を1曲用意しています。
経年の変化を見ると、1963年に英国でブレイクし、1964年に米国に進出して世界規模の爆発に達し、1965年のアメリカ・ツアーのシェアスタジアム・コンサートでピークを迎えます。その後は惰性で、1966年8月29日のサンフランシスコのコンサートで終焉を迎えます。ビートルズとして再び公の場でのコンサートは開かれませんでした。
1966年の日本公演は最後の公演の2ヶ月前です。コンサートにも飽きがきて、力が入らなくなった時期です。ファンの喚声にかき消され、自分たちの演奏の音さえ聞き取れなくなり、本来のライブの醍醐味が味わえなくなったのでしょう。大金持ちにもなり、コンサート・ツアーに明け暮れる毎日に嫌気が差してくるのも頷けます。
しかし、このビデオの武道館コンサートはテレビで見たものと違って、音源がしっかりしています。テレビのものはマイクが動いて歌いづらそうに演奏していましたが、このビデオでは手を抜いているようには見えません。
4つのコンサートの中には初期のイギリスでのコンサートが含まれていません。恐らくこのビデオ以上のパフォーマンスを披露していたに違いありません。後年、ラジオ局(BBC放送)でのライブ音源がCDで発売されましたが、素晴らしい演奏です。
映画「レット・イット・ビー」の中でビルの屋上でライブ演奏するシーンがありますが、「ルーフトップ・コンサート」(1969年1月30日)と呼ばれています。これが実質的に4人による最後のライブ・コンサートとなりましたが、演奏を楽しんでいる感じが伝わってきます。
4つのコンサートを集めたこのビデオの企画はグッドですが、願わくばオリジナルの映像を使用すること、イギリスでの初期のコンサートとルーフトップ・コンサートを加えることを期待します。
(2010.12.1 記載)