広島国際会議場

国際会議場
遠景(会議場HPより)

広島市公会堂は1955年に建てられ1986年に閉館するまで、広島の各種イベント会場として中心的な役割を果たしていました。コンサート・演劇・講演会等の利用率は高かったのではないでしょうか。私も木下順二の「夕鶴」を見に行った記憶があります。しかし、建築的な魅力が乏しかったからでしょうか。築30年で老朽化も進み、市民からの抵抗も無くあっさりと取り壊されてしまいました。その跡に今回取り上げる広島国際会議場が建設されました。
1949年の平和公園の設計コンペ当選案(丹下チーム)では集会所が建つ計画でした。恐らく予算が不足したのでしょう。公会堂は地元財界の寄付により地元業者の設計・施工で建ちました。当時の状況からすれば、安普請もやむを得なかったと思います。資料館・平和会館と同様に丹下健三が設計していたなら、違っていたかもしれません。
国際会議場は丹下事務所の設計です。これでコンペ当選案の形が揃いました。3つの建築におけるこの建築の位置づけ等、どのように評価されているか私論を述べてみたいと思います。

国際会議場0
正面
国際会議場1
1階平面(会議場HPより)
国際会議場2
地下1階平面(HPより)
国際会議場3
地下2階平面(HPより)
国際会議場4
1階ロビー
国際会議場5
地下2階ロビー
国際会議場6
フェニックスホール
国際会議場7
国際会議ホール・ヒマワリ
国際会議場8
大会議室・ダリア
国際会議場9
国際交流ラウンジ
国際会議場10
サンクンガーデン

建物概要

  • 設計は丹下健三都市・建築設計研究所
  • 1989年7月開館
  • 鉄骨・鉄筋コンクリート造地下2階地上3階建
  • 延べ床面積は約24.700?
  • 管理運営:(財)広島平和文化センター

建設の経緯

公会堂はコンペ当選案を尊重する形にはなっていましたが、丹下氏とは別人の手で設計されました。大きなスロープで2階の公会堂ホワイエにたどり着き、劇場壁面が屋上から立ち上がる外観は同時期にオープンした資料館・平和会館と比べると違和感がありました。
築30年による経年劣化と他の新しいホールと比較して機能的な見劣りが目立ち始め、建て替え要求の声が上がったものと推察します。1986年に閉館し、丹下事務所の設計により建設が始まり、1989年に完成します。
資料館を挟んで東側の平和会館とシンメトリーな外観を持つ国際会議場が誕生し、これで丹下氏の当初の計画(当選案)が完結しました。平和大通りと平和公園を仕切る3建築には凛とした緊張感が漂っています。

建築について

  • 平面と立面
  • 平面計画のグリッドプランとスレンダーな柱・梁によるファサードは平和会館(現在は平和記念資料館東館)と対をなしています。高さを抑えて、渡り廊下で水平に繋がる3つの建築は宇治の平等院を連想させます。
    地上に現れるボリュームを平和会館程度に抑えるという制約の中で、必要とするコンサートホール・大中小の会議場等のコンベンション機能を収納するのは至難の技です。車のアクセスを地下1階に配置して人車の分離を図り、一番天井高を必要とするコンサートホールのみを地上階に占有させ、他のホールは地下に収めることにより解決しています。コンペ当選案の原型(コンセプト)を守るという丹下氏の強い意志を感じます。

  • 交通・くつろぎ空間
  • 人は1階の正面玄関から入るとエスカレーターに直進してB1階、B2階へ導かれます。車はB1階にアプローチします。
    大ホールの受付(改札)はB1階に設置されます。中ホールと大中小の会議室はB2階に入口があります。
    1階のロビーはエスカレーター脇の公園側にガラスで開かれた明るい空間となっています。奥に床をスキップさせて国際交流ラウンジを設けています。自由に利用でき、絶好のスペースとなっています。
    B2階のロビーはエスカレーターの下部を利用して、暗い感じですが、落ち着いた雰囲気があります。B1階はエントランスホールであり、ロビーといえる程のくつろぎ空間はありません。

  • 大・中ホール
  • 大ホール(フェニックスホール)は1500の固定席を持つクラシック・コンサート用に作られています。B2Fから最上階までの空間を使って、残響可変装置や6ヶ国語同時通訳設備等を備えた一級品のホールです。
    中ホール(国際会議ホール・ヒマワリ)はB2階の平床とB1階の階段席からなり、シアター形式で800席を収容できます。屋上は地上レベルの庭園となっています。6ヶ国語同時通訳設備等を有し、9月にはG8下院議長会議がこの会場で開催されました。机の配置を換えることにより多目的に利用できます。

  • 大・中・小会議室等
  • 大会議室(ダリア)はB2階にあり、6ヶ国語同時通訳ブースを両サイドに設け、可動間仕切りで2分割が可能となっています。天井高が2階分あるので、展示場やパーティ会場としても利用できます。
    可搬式の4ヶ国語同時通訳設備を備えた中会議室と小会議室はB2階にあり、更にそれぞれ2分割が可能となっています。B1階に会議運営事務室があり、国際会議等のプレスセンター・控室等としても利用できます。

  • サービス空間
  • レストランはB2階にあり、目立たない場所に位置しています。サンクンガーデンを設けて外部からアプローチしやすい配慮もなされていますが、会場でイベントが無い時には閑散としています。
    国際交流ラウンジは1階のエントランスホール奥にあり、日本人と外国人が交流するための場所と情報を提供しています。その目的とは別に、一番いい場所にあるので、休息に利用する人も多いのではないでしょうか。喫茶店でも開けば、繁盛しそうな気がします。

    問題点と改善提案

  • 現状
  • 国際会議や全国大会のシンポジュームからコンサートや公演会等の小規模イベントまで柔軟に対応できる施設となっています。フル稼働しているかどうかは把握していません。
    レストランの独立採算は取れていないでしょう。大幅な赤字だからといって、レストランをなくすると不便なこともあります。
    国際交流ラウンジも所期の目的を達しているかどうかは把握していません。情報カウンターに常時職員が張り付いていますが、人件費もばかになりません。この場所が適切かどうかは疑問です。

  • 問題点
  • ・管理運営している広島平和文化センターの事務室が各棟の各フロアに分散していることが一番のネックとなっています。管理棟機能をどこに集中的に置くかが課題です。
    ・レストランを今の所に置いておくのは無駄が多い気がします。もっと利用しやすい場所に移すのが賢明です。
    ・3階の使い勝手が不明ですが、空中の渡り廊下がありながら機能的に資料館とつながっていないのは問題です。

  • 改善提案
  • 管理棟を新築して管理機能を集中させるのが順当ですが、完成された平和公園の中に適地を確保することは困難です。次善の策として、既存の施設の中でやり繰りすることを提案します。
    改善提案 ・1階の国際交流ラウンジはB2階のレストランに移し、跡を軽喫茶店にする。ケーキやコーヒー以外に調理の簡単なカレーやサンドイッチ等をメニューにし、弁当も提供する。
    ・B2階の厨房は残し、パーティー用の調理に加えて弁当やケーキ等のオリジナル(ブランド)品を作る。従来のレストラン客はすべて予約制にし、人数に応じて大中小の会議室を利用する。
    ・B2階のレストランは国際交流ラウンジにして、国際部国際交流・協力課を同居させる。収まらなければ、B1階の施設課まで拡張する。
    ・1階エントランスから3階直行のエスカレーター(上り専用)を設置する。3階に自動券売機・自動改札口を設置して、少人数・リピーター専用の資料館入口を設ける。
    ・3階の国際部国際交流・協力課の跡に資料館東館に入居している事務室を移動させる。
    ・可能な限り国際会議場に人の配置を集中し、渡り廊下を有効に活用して管理運営の一体化を図る。
    ・北側のサンクンガーデンを裏玄関として活用できるように改造する。上部にガラスの屋根を架け、予算があればエスカレーターを設置する。

  • 3建築の位置づけ
  • ・資料館東館は展示機能と平和研究並びに観光客(修学旅行・団体旅行・外国人等)に対応したサービスに特化させる。
    ・国際会議場は広島平和文化センターの管理機能とイベント及び地元市民サービスに特化させる。
    ・資料館は被爆の惨状を包み込んだ建物自体が彫刻(アート)であり、原爆ドームと対峙している。

    雑感

    地下に構造物を作ろうとすると建設費が割高になります。公会堂のアプローチが2階になっていたのも、大ホールを地上に上げて地下の工事を極力少なくするためでした。予算の乏しい時代ですから当然の処置です。丹下チーム案の集会所も地下階は想定していなかったものと思います。

    国際会議場は半分以上が地下構造物になっていますが、戦後の高度経済成長で生活にゆとりができた証です。1980年に広島市も政令指定都市に昇格し、「国際平和文化都市ひろしま」を掲げ、その拠点施設として広島国際会議場を現在地に建設しました。
    当然、平和公園全体を設計した丹下健三に設計を依頼しました。当時、丹下氏(70歳代)は現役第1線で活躍しており、新東京都庁舎の設計に取り掛かっていました。国際会議場も丹下氏の意思がしっかりと反映された建築となっています。地上に顔を出す高さとボリュームを一定に抑えることは、平和公園の厳粛な空間を保つための不可欠な要素でした。

    先日、新市民球場の命名権をマツダが取得し、「マツダ・ズーム・ズーム・スタジアム広島」の愛称が発表されました。市は年3億円の収入を球場の大規模修繕費に当てることにしています。財政難の市にとっては貴重な財源です。
    国際会議場は市民に愛されているでしょうか。コンサートや講演会や各種会議等でよく利用されていると思いますが、「国際会議場」と名が付くと近寄りがたく感じます。命名権を売るのは反対ですが、愛称が付くほどに親しみのある施設になって欲しい。例えば、月に1組位は結婚式の披露宴に利用できるように、市民に開放してはいかがでしょう。平和公園での挙式を希望する人は結構多いのではないでしょうか?

    国際会議場は内包する機能から見れば、「国際平和文化会館」です。市民から愛称を募ってはいかがでしょう。「国際平和文化都市ひろしま」の象徴として、もっと市民に親しまれ、愛されるべき風格を持った建築だと思います。イベント等の催し物がなくても人が集い、利用される空間があればよいと思います。
    1階のエントランスホールから3階へのアクセス(エスカレーター又はエレベーター)を増設し、リピーターの資料館への入場が可能となれば、日常的に利用者の増加が期待できます。また、北側のサンクンガーデンも工夫次第では賑わいの場に変身できるのではないでしょうか。丹下健三氏にも天国から喜んでいただけるものと思います。

      (2008.11.15 記載)   
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