まちづくりひろしま(第14号)より

『海田まち歴史の散歩道』

11月15日発行の「まちづくりひろしま(第14号)」に、こまちなみシリーズ?海田まち歴史の散歩道を私が執筆しましたので、ここに全文を紹介します。

こまちなみシリーズ?海田まち歴史の散歩道

    金沢市は「こまちなみ保存条例」を制定し、「まちの歴史を色濃く残した、ちょっとした良い町並み」を「こまちなみ」として守り、育て、その雰囲気を生かした風格あるまちづくりを進めている。そこで、これに倣って、広島における残しておきたい「こまちなみ」を探訪し、シリーズで紹介する。
       
  1. 海田まち歴史の散歩道(JR・海田市駅の周辺)
  2.  
    案内板
    赤の道が西国街道
    (旧山陽道)
    千葉家
    県重要文化財
    「千葉家書院」
    三宅家
    三宅家住宅

    筆者撮影
    JR山陽線海田市駅の北側を西国街道が通っている。広島城開城により、城を挟んで廿日市と海田市は物資の中継地となる。またこの地は広島城から京・江戸への第1番目の宿駅として本陣である御茶屋や脇本陣等が置かれ、江戸時代を通じて広島藩の蔵入り地でもあった。
    街道沿いには参勤交代の大名が宿泊する御茶屋跡や家老等が泊まる脇本陣跡があり、江戸時代に幕府公用の荷物の輸送役を務めた千葉家は昔の姿のまま健在である。
    古い街並みが連続的には残っていないが、格子や虫籠窓を備えた古い様式の町家や所縁のある神社仏閣等が点在し、宿場町の往時を偲ぶことができる。
    また街道の中心部には海田町役場や公民館、保健センター、郵便局等の役所が集まり、安芸郡の政治・経済の中核的な位置を占めている。   

    ・広島県重要文化財「千葉家書院」 千葉家は江戸時代を通じて天下送り役・宿送り役・町年寄などを務める。屋敷は江戸時代中期の建築様式を今に伝え、玄関は入母屋造り、座敷は数寄屋風書院造りである。庭園も広島県名勝に指定されている。

    ・三宅家住宅 約200年前の建築で江戸時代の面影がよく残されており、当時の宿場の中でも町家を代表する屋敷である。

    これら由緒ある屋敷が残ったのは昔ながらの役場等が近くにあり、今でも人の賑わいがあるからであろう。
    現在、海田町役場の移転問題が話題になっている。JRの立体事業計画が暗礁に乗り上げているため、役場移転もとん挫しているが、?現在地近く?海田市駅南口?海田町エリア中央部の3か所が候補に挙がっている。
    広島市との合併問題も潜在的に残されているので難題であるが、?か?が選択されれば、他の地区同様に西国街道は急速に寂れることになろう。観光地として活かすには可部地区のように古民家を改装した茶店(交流サロン)を設けて、例えば団子や羊羹や饅頭等、新しいスイーツを海田名物として売り出してはいかがか。
    平成23年にスタートした「西国街道・海田市ガイドの会」は歴史的資源を後世に残し伝え、それらを活用したまちづくりを目指している。毎月第4土曜日に定期ガイドを開催し、5人以上の団体の申し込みがあれば、希望日に随時ガイドを行っている。その他にJRふれあいウォーキングや歴史講演会、西国街道の清掃活動など。息の長い地道な活動に期待したい。

      *西国街道・海田市ガイドの問い合せ:海田市町企画課 kikaku@town.kaita.lg.jp   

雑感

初めて海田の西国街道(現県道151号)を歩きました。JR海田市駅から少し離れ、国道2号線が開通するまではメインストリートでした。今でも街道沿いに役場等の公共施設や神社仏閣等が集中しているので、町民の利用は多く、土地勘のある人は通り抜けの道として交通量が多い。

ただ旧道で道路幅が狭く、公共施設の立地としては利便性が悪いので、町役場を移転して欲しいという要望は強い。一方で、移転するとこの地区の地盤沈下が甚だしいので、その折り合いをどう付けるかは政治的な判断となります。広島市との合併も一度俎上に乗ったが、住民税等が上がるという住民の反対の声に押されて空中分解した経緯があります。

合併にはメリット・デメリットがあります。メリットとしては、海田町の周囲は広島市の安芸区により取り囲まれているので、安芸区全体のバランスの中で効率よく行政サービスが受けられます。デメリットは海田町の歴史・文化等のオリジナリティが希薄になることです。これまで合併された側の町村が味わってきた悲哀です。町村の歴史・文化を尊重した上での市町村合併が実現できないものでしょうか。

*ちょっとコーヒーブレイク:『「広島を愛する人」

  (2014.12.1 記載)   
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