ジョンレノン・スーパーライブ

Dream Powerジョンレノン・スーパーライブは今年で8回目を迎えます。第1回目が2001年に開催され、私はNHKのテレビで見ました。それがきっかけでビートルズクラブの会員になったような気がします。
2回目からは連続3回会場に足を運びました。現在は広島に住んでいるので遠のいていますが、昨年のライブのテレビ放映をDVDで見ることができました。
1回目と7回目のテレビ放映を比較し、2回目から4回目までの鑑賞体験を交えてスーパーライブの良さを紹介したいと思います。

経過

案内
2003年のチラシ(表)

  • 第1回目、2001年10月09日、会場:さいたまスーパーアリーナ
  • 第2回目、2002年12月09日、(同上)
  • 第3回目、2003年10月02日、(同上)
  • 第4回目、2004年10月14日、日本武道館
  • 第5回目、2005年10月07日、(同上)
  • 第6回目、2006年11月04日、(同上)
  • 第7回目、2007年12月08日、(同上)
  • 第8回目、2008年12月08日、(同上)(予定)

趣旨

ちらし
2003年のチラシ(裏)

"LOVE"and"PEACE"というジョンの志を継承するために、ジョンを敬愛する日本のアーチストが集まって、ジョンの曲を歌うライブ・コンサートです。
オノ・ヨーコの呼びかけでスタートし、アジア・アフリカの貧しい国々の子供達の学校を建設するため、売上金の一部を寄付するチャリティです。2007年までに世界18カ国75校が建設されています。
ヨーコが提唱している「一人で見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる」ドリームパワーを具現化しています。

記念の品

コンサートに参加した証として思い出の品が手元に残っています。     

  • マフラー
  • マフラー
    マフラー
    オノコード
    オノコード
    オノコード








    オノコード
    2002年(2回目)のコンサートのチケットはユニクロの店で入手しました。マフラーにコンサート名とチケットが縫い付けてありました。
    好みの色が選択でき、定価は例年通り8.500円です。なんだか得をしたような気になりました。今でも冬になると取り出して愛用しています。

  • チラシ(案内)
  • 2003年(3回目)のコンサートのチラシがなぜか残っていました。表はジョンとヨーコの顔写真です。ヨーコの顔を見ているとモナリザの微笑みが浮かんできます。
    裏面は出演アーチストの写真が紹介されています。本木雅弘が出演していますが、舞台に一人スポットライトを浴びた椅子に腰掛けて「イマジン」の詩を朗読しました。以降、俳優による朗読コーナーが設けられるようになりました。

  • オノ・コード
  • 2004年(4回目)は会場が武道館になり、観客全員にオノコードが配られました。ヨーコ発案の電池式小型ペンライトです。
    会場を暗くして、ヨーコの音頭で「アイ・ラブ・ユー」のメッセージを交換し合いました。モールス通信のようにアイは1回、ラブは2回、ユーは3回点滅することにより情報を伝達します。暗闇の中、会場全体に点滅する光は銀河のように輝いて見えます。
    以後、オノコードによる「アイ・ラブ・ユー」がコンサートの恒例になっています。

ライブの内容

1回目のビデオ・テープと7回目のDVDが手元にあるので、見比べてみました。     

  • 第1回目テレビ放映
  • 舞台装置
    舞台装置
    舞台照明
    舞台照明
    インタビュー
    インタビュー
    ヨーコとあいさつ
    ヨーコとあいさつ
    終了
    終了     
    1. 舞台装置
    2. ・舞台の左側に大きなリングと球体が据えられ、カクテル光線や映像を当てて曲のテーマや会場の雰囲気を作っている。球は地球を表しているのか?太陽系の宇宙を示している?

    3. アーチストと演奏曲
    4. ・当時はムッシュかまやつと白井貴子しか知らなかった。奥田民生やゆずはすでに人気があったようだが、私はこの時初めて知る。全く無名の押葉真吾は7回のスーパーライブに連続出場している。
      ・オープニングは吉井和哉・ゆず(2人)・押葉真吾の4人がハモる「カム・トゥゲザー」で始まり、8組のアーチストのそれぞれ選んだ曲が並ぶ。
      ・最後に登場したアシッド・テストの「マザー」はシンセサイザーを使った幻想的な編曲で、舞台照明ともマッチして一番の出来であった。
      ・後半は出演者全員が舞台に上がり、衛星中継のヨーコと挨拶を交わす。「ハッピー・クリスマス」、「リアル・ラブ」、「ギブ・ピース・ア・チャンス」をみんなで合唱し、アンコールは観客と一緒になってイマジンを合唱。

    5. 出演者へのインタビュー
    6. ・リハーサルの合間に出演者全員のコメントを収録。ジョンのこと、参加した理由、「もし、今夜の演奏がジョンに届いているとしたら?」とインタビューを受ける。みんなジョンをリスペクトしているので、コンサートに対する熱い思いが伝わってくる。

    7. ヨーコ衛星中継で参加
    8. ・ニューヨークの9.11テロの後だけに、ヨーコは離れられない。やむなく衛星テレビ中継で参加。
      ヨーコと出演者とのやり取りがおもしろい。ヨーコの方は音声のみで受け答えしているのであろうか?一瞬のずれがありながら、的確に答えているのは流石である。会場の熱気がヨーコにも伝わるのであろう、「ハッピー・クリスマス」を歌うヨーコは嬉しそうであった。

    9. 特徴
    10. > ・NHKが制作しているので、ゆったりと落ち着きがある。語りの女性が丁寧に出演者を紹介し、出演者もインタビューで心情を語り、舞台でもコメントしていたので、コンサートの趣旨や雰囲気がよく伝わってくる。舞台装置、照明、映像等がよく練れている。
      ・ムッシュかまやつは唯一ビートルズ同世代の出演者であり、ビートルズ初期の曲を選定したのは正解。重い雰囲気を軽くする。ジョンは愛と平和のメッセンジャーだけでなく、もとはロックンローラーだった。
      ・押葉真吾はジョンの生き様に心酔し、リバプールのライブハウスで鍛えてきた若者。「コールド・ターキー」の絶叫はインパクトがあった。
      ・アシド・テストはこの日のために組まれたユニットである。ミスターチルドランの桜井と田原プラス小林武史の3人組。桜井のボーカルもすごいし、シンセサイザーと舞台照明の総合芸術だ。ミスチルは名前を知っている程度だが、実力を持ったグループに違いない。そういえば今年の北京オリンピックのテーマ曲「ギフト」は彼らが歌っている。
      ・第1回目は立ち上げということで、出演者を初め制作者や裏方の熱意が感じられる。最後にみなが手をつないで舞台を後にする姿は満足感がみなぎっていた。

  • 第7回目テレビ放映
  • 日本武道館
    日本武道館
    オープニングの4人
    オープニングの4人
    オノコード
    オノコード
    「アイ・ラブ・ユー」交信
    終了
    終了
    樹木希林と孫達
    樹木希林と孫達
    忌野清志郎
    忌野清志郎
    左:クラウス・フォアマン
    左:クラウス・フォアマン
    1. 舞台装置
    2. ・会場が武道館なので、舞台がさいたまほど広くない。舞台はバックにトリビュートバンドが構え、上部に大型スクリーンを掲げている。シンプルそのものだ。
      ・ビートルズが日本で公演した唯一の会場がこの武道館で、舞台の配置も同じ。違いは1階フロアが観客席で埋まっていること。全館満席のようだ。

    3. アーチストと演奏曲
    4. ・オープニングに吉井和哉・奥田民生・斉藤和義の3人が登場し、ビートルズ最後のライブとなった「ルーフ・トップ(屋上での演奏)」を再現する。
      1曲ずつジョンのボーカル役を取りながら互いにハモる。その後、忌野清志郎が加わって「ドント・レット・ミー・ダウン」を熱唱し、そろって退場する。この4人が今回の主役のようだ。
      特に、忌野は喉頭がんからの復帰を飾る。4人は後半にも再度登場し、テレビでは2曲ずつ歌う。他のメンバーは1曲のみ放映。
      ・出演者の歌が一通り終わった後、全員が舞台に上がる。オノコードを使って「アイ・ラブ・ユー」の交換をした後、恒例の合唱。
      「ハッピー・クリスマス」から始まり、「パワー・トゥー・ザ・ピープル」、「ギブ・ピース・ア・チャンス」、「イマジン」で終了。「パワー・トゥー・ザ・ピープル」の途中からヨーコが登場し、出演者全員とハグし合う。やはりヨーコが現れると会場全体が盛り上がる。

    5. 出演者へのインタビュー
    6. ・出演者の主だった人のみ、舞台の登場前後に控え室で取った簡単なコメントを紹介。
      ・テレビの冒頭、入場前の観客からコンサートへの期待をインタビュー。

    7. 特徴
    8. ・民放がテレビ制作しているためか、金と手間をあまりかけずにスマートにまとめている。
      ・樹木希林の存在が大きい。チャリティの趣旨を説明したり、「イマジン」を朗読したり、オノコードの説明をしたり、要所要所でコンサートを引き締めている。
      孫二人を連れて登場し、朗読の前に二人にアカペラで「イマジン」を歌わせたのは印象的だった。朗読も孫達に言い聞かせるように優しく、観客に向かっては厳しく、使い分けていた。
      ・忌野清志郎は名前を聞いたことがある程度でほとんど知らなかった。歌唱力は抜群で、日本語訳の「マザー」は心に響いた。完全復活をフアンとともに祝福したい。
      ・クラウス・フォアマンが登場。昔ながらのビートルズの友人の一人である。ジョンと唯一ハモった曲「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」を押葉とデュエット。両手をポケットに突っ込んで最初ははにかむように歌い、後半は乗っていた。
      ・1回目と比べると、出演者が増え華やかになり、ショーアップされている。オープニングのアーチスト数組による演奏、後半部にヨーコが登場して出演者全員による合唱、そして観客も歌うエンディングの「イマジン」という構成は変わらない。

  • 観客として
    1. 第2回目(2002年12月09日)
    2. ・スーパーライブに始めて参加。雪が降る寒い日だった。
      ・実はあまり印象に残っていない。アーチストもほとんど知らないし、坂本龍一も名前こそ知っていたが、ピンとこない。
      ・オノ・ヨーコが登場した時には「オー」と会場がどよめいた。本人を見るのは初めてだし、確かにオーラが漂っていた。
      ・1回目のテレビ放映の裏方まで見せる濃い内容に比べて、会場では淡々と見知らぬアーチストの演奏が進み、自分としては物足りなさを感じる。観客もジョンのファンではなく、出演者目当ての人が多いのではないか?
      ・スーパーライブの目的がまだ浸透していない。2回目ではまだ無理か。

    3. 第3回目(2003年10月02日)
    4. チケット
      チケット
      ・私としては2回目であり、さいたまスーパーアリーナでの最後のコンサートとなる。
      ・参加アーチストが15組と増えたが、よく知っているのは森山良子と内田裕也の二人だけ。森山良子の歌唱力はいつ聞いてもすごい。内田裕也はジョンと同い年(?)で、往年のロックンロール・ナンバーを歌っていた。
      ・Gacktが登場すると観客から大きな歓声が起こり、人気のバロメーターが上昇する。が、何者か知らなかったし、何を歌ったか記憶がない。
      ・本木雅弘の「イマジン」の朗読は抑えた声でなかなか渋い朗読だったような気がする。さすが俳優である。

    5. 第4回目(2004年10月14日)
    6. チケット
      チケット
      ・この回から会場が日本武道館に移る。なんといってもさいたまと比べると交通の便が良いし、ビートルズゆかりの場所でもある。
      ・加藤登紀子は「ビートルズ公演をあの席で見ていた」とステージの右横後ろの方を指差していた。加藤の「パワー・トゥ・ザ・ピ−プル」は観客の参加を求め、私も一緒になって声を張り上げていた。トークが軽妙で客を引きつけるのがうまい。
      ・宇崎竜童も出演していたが、あまり記憶にない。
      ・大型スクリーンにジョンがギターを弾いて「イマジン」を演奏する貴重なコンサート映像が流れる。ちょうどアルバム「ジョン・レノン・アコースティック」が発売された時期と重なる。
      ・オノコードなるものが入場者全員に手渡される。「アイ・ラブ・ユー」のメッセージをペンライトの点滅で伝達するというヨーコの作品である。

雑感

このコンサートは当初、50の学校建設を目標にスタートしたようですが、5年で達成しています。現在は100校を目標にしていますが、今のペースで行くと10回で簡単にクリアできそうです。
昨年はチケットが完売するほど盛会となり、民放でテレビ放映されるということは完全に商業ベースに乗ったことの証です。いつから民放に移ったかは知らないのですが、コマーシャルが付くということは社会的に認知されたということでしょう。

ジョンを愛するアーチストが出演することにより、そのアーチストのファンにまでスーパーライブの趣旨が浸透していったのでしょう。初めの頃はアーチストのファンで客席が埋まることに違和感を持っていましたが、回数を重ねるたびに観客同士の一体感が生まれてきたように思います。「イマジン」をみんなで歌うことによって心が洗われてきます。
会場を日本武道館に移したのも、成功の一因です。ジョンレノン・ミュージアムがあるためにさいたまスーパーアリーナが選ばれたようですが、利便性を考えると都心の方がいいし、日本武道館はビートルズのゆかりの地でもあります。今後は地方のファンや海外からの観客も増えてくることでしょう。

クラブ・メンバーカード
クラブ・メンバーカード
いつまで続くか?提唱者のヨーコが元気なうちは大丈夫でしょう。ヨーコが不在になった場合にどうなるか?実質的なプロデュースはビートルズクラブが担当しているのでしょうから、クラブが存続している限りは継続できるものと思います。クラブが無くなったとしても、30回も続けば生き残ることが出来るのではないでしょうか。ジョンの魂には普遍性があります。

ヨーコはジョンの遺産をただ守るだけでなく、将来に向けて発展させる才能の持ち主です。「ジョンレノン・ミュージアム」、「イマジン・ピース・タワー」、「ドリームパワー・ジョンレノン・スーパーライブ」、どれもヨーコなくしては実現できなかったでしょう。ジョンの商品の名プロデューサーであり、そのこと自体がアーチスト的でもあります。
このスーパーライブはドリームパワーの成果を世界に還元するところに普遍性があります。ジョンはソロになってからはチャリティ・コンサートにしか出なかったといいます。このスーパーライブが将来にわたって末永く続くことを強く願っています。

  (2008.9.15 記載)
前のページ
inserted by FC2 system