まちづくりひろしま(第11号)より

『広島本通の成り立ち』

5月15日発行の「まちづくりひろしま(第11号)」に、広島の復興の軌跡(6)「広島本通の成り立ち」を私が執筆しましたので、ここに全文を紹介します。

広島本通の成り立ち

    本通は広島市の都心に位置し、周辺にはアストラムライン・バスターミナル・市電等が集中している。週末には約10万人の来街者で賑わう中・四国一の商店街で、広く市民に親しまれている。廃墟から立ち上がり、いかに復興し、現在の姿に変遷してきたかをたどる。
       
  1. 戦前の賑わい
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    昭和10年頃







    昭和10年頃
    江戸時代、本通は広島城下を横断する西国街道(山陽道)の一部で、革屋町や播磨屋町、平田屋町など、当時の名残の町名が昭和40年まで残っていた。
      大正元年に市内電車が開通し、本通商店街の形成を促す。昭和5年に本通会が発足し、繁華街の中心が中島本町から本通に移行する。通りの両側に続くすずらん燈は夜の本通を輝かせ、広島の名物として道行く人々の目を楽しませた。
         
  3. 被爆後の状況
  4. 下村時計店
    現広島パルコ付近より西を望む。写真左が下村時計店(林重男撮影)
    被爆当時の本通には商店以外の銀行・郵便局・事務所・映画館等があり、今とは少し趣が違っていた。原爆投下により爆心地に近い本通は、コンクリート造りの建物を除いて壊滅し、瓦礫の下には多くの犠牲者が横たわっていた。
    本通のシンボルだった下村時計店の時計塔は爆風を受けて崩れ落ちた。帝国銀行広島支店や大林組広島支店の建物はかろうじて形を残し、修復して戦後も生き残る。
      
  5. 目覚ましい復興
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    道路拡幅
    昭和24年、道路が拡幅されたが、電柱は残る(佐々木雄一郎撮影) 賑わう本通
    昭和28年、賑わう本通(佐々木雄一郎撮影)
    昭和21年にはバラックの10店舗が集まって本通の復興発起人会を立ち上げ、昭和23年に広島本通商業協同組合を発足。土地区画整理は昭和21年に事業決定し、翌年から事業に着手。道幅が7.2mから11mに拡張され、すずらん燈も復活し、昭和24年から電柱の撤去も開始される。
      戦後の価格統制が廃止され、広島駅前等のヤミ市が次第に姿を消して、昭和25年頃には本格的な賑わいを取り戻す。昭和29年には初代アーケードが完成したが、翌年の積雪被害で倒壊する。昭和33年の時点で、戦後創業した店舗が過半数を占め、本通の復興は老舗の力を基盤としながらも、他の地で力を蓄えた商人の手でなされたといえる。
      昭和40年に広島市内の町名変更がなされ、商店街の通称として使われていた「本通」が行政区画の正式名称となる。それを機会に無名時代の由紀さおりが歌うコマーシャルソングが作られ、「歩いて楽しい本通」のメロディがよくラジオから流れていた。今の本通のランドマークは「広島アンデルセン」である。戦前から建つ被爆建物三井銀行広島支店(被爆時は帝国銀行広島支店)を改装して昭和42年にパンとレストランの店をオープンする。
      
  7. 現在の本通
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    広島アンデルセン旧館
    広島アンデルセン旧館 現在
    現在
    3代目のアーケードが平成3年に完成。歩道も平成5年にカラー舗装となり、本通は現在の姿となる。
      その頃から老舗の店が1階から2階へ移るケースが増えていく。土地の所有者はビルの建て替え時に路面店を貸店舗にして家賃収入を得る。家賃が高いため、資金力のある大手チェーン店の進出が相次ぐ。結果として、コンビニやカラオケ店やパチンコ店が現れ、かつての高級専門店街のイメージが次第に薄れていく。
    また郊外の大型ショッピングセンターに客が奪われ、中心市街地の地盤沈下が叫ばれて久しい。危機感から本通周辺の商店街と大型店による広島市中央部商店街振興組合連合会(中振連)が平成4年に結成され、対策等に取り組む。その成果の一つとして、商店街と市民が連携したまちづくり機関、NPO法人の「セトラひろしま」が誕生する。
    アンテナショップとして県内の特産品の展示販売等を行う「ひろしま夢プラザ」が平成11年に本通に移転し、今は本通で最も集客力があると言われている。
    平成19年にオープンした「本通ヒルズ」は老舗の2店舗が共同ビルを建設して、うなぎの寝床を解消した明るい話題だ。地下1階にレストラン、1・2階はテナントに貸し、3階に老舗の2店が入り、4・5階は病院、7階はカフェが入居する複合ビルに生まれ変わった。
      現在、中振連とセトラひろしまが協働して、ゆかたできん祭、8月6日とうろう流し、えべっさん等の祭りやイベントを実施して、中心部の賑わいづくりに寄与しているが、抜本的な対策は、かつてそうであったように、「歩いて楽しい本通」にすることである。
     
  9. 今後の課題
  10. 本通商店街の裏通りにあるうらぶくろ商店街では若手店主が出資して、まちづくり会社を設立し、中心市街地の活性化のためにイベントの開催や不動産管理に挑戦しようとしている。
    本通に残る唯一の被爆建物、広島アンデルセン旧館も建て替えを含めたリニューアルが検討されている。一企業の発展を優先すれば、解体・建て替えになるし、広島のまちのことを考えれば、保存活用となる。両者の要求を満足させる解決策が導き出せるか。
    世界的な観光名所、原爆ドームと平和公園につながり、これからの可能性を秘めた旧市民球場跡地と中央公園に隣接する本通のプライドと憧れを取り戻すために、本通全体を取りまとめるまちづくりのプロ、総合プロデューサーの登場が期待されている。

    (主な参考文献)
    1. 広島新史・都市文化編(広島市)
    2. ひろしま本通物語(井川樹著)
      

雑感

私が子供の頃、町に出かけると言ったら本通界隈に行くことを意味していました。女性はちょっとオシャレをして華やかな気分で本通を歩いていました。広島市民にとって本通はハレの場であったように思います。少々高価でも、その分だけ品質が安心できる買い物でした。
今の本通は老舗の多くが通りから消え、ただ人が多く集まるという理由で本通でなくてもよさそうな店が並び、かつての高級専門店街というブランド・イメージが希薄となってきました。ウインドウ・ショッピングをしながらブラブラ歩く人より、ただ急いで通過していく人の方が目立ちます。
歩いて楽しい本通にするためには、イメージ・アップできる環境づくりが必要です。通りに面する外観はできるだけ内部が見えるようにオープンにして、空間に余裕がある場合はベンチ等の休憩スペースを設けます。現在でもアンデルセンの外壁沿いにベンチを置いていますが好評です。内部を見られて困るような店舗は入居させないようにします。
商店街振興組合の中で本通のあるべき姿を共有し、建築協定のようなルールを作ってはいかがでしょうか。

*ちょっとコーヒーブレイク:『「平和記念都市ひろしま」

  (2014.6.15 記載)   
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