広島平和記念資料館・東館

広島平和記念資料館東館が建替えられる前は、平和記念館が建っていました。通称、平和会館といっていたような気がします。東館よりちょっと小ぶりな建築で、ガラスで囲まれた中庭が中央にありました。1階の講堂や2階の会議室は何度か利用したことがあります。
1991年から5年余、仕事の都合で広島を離れていました。その間に平和会館は取り壊され、東館が完成していました。平和会館も資料館と同時期に建設された丹下健三の作品です。資料館の力強い「縄文」に対して、平和会館は繊細で日本的な「弥生」を意識した建築として評価されていたはずです。保存運動が起こらなかったのが不思議ですが、正当な建替え理由があってのことでしょう。同じ丹下事務所が新築の設計をしているところをみると、丹下健三も壊した方が良いと判断したものと思います。
東館は資料館ほどのインパクトが無いので、あまり評価されることがありません。現在、資料館の観覧ルートの見直し中のようですので、その視点を中心に東館を検証してみたいと思います。

資料館東館0
遠景(チケットより)
資料館東館1
資料館東館全景
資料館東館2







外観ディテール
資料館東館3
玄関ホール
資料館東館4
地下1階ホール
資料館東館5
3階休憩コーナー
資料館東館7
地下1階企画展示室
資料館東館6
地下1階講堂
資料館東館8
地下1階中庭

建物概要

  • 設計は丹下健三都市・建築設計研究所
  • 1994年6月開館
  • 鉄骨・鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建
  • 延べ床面積は約10.100?

建設の経緯

1949年に行われた平和公園の設計コンペで選ばれた丹下チーム案に基づき、資料館と平和会館が建設され、ともに1955年にオープンしました。
1992年3月から平和会館を撤去して新築工事に着手します。建替えの第一の理由は資料館スペースの拡大と推察します。完成された形の資料館と一体的な増築は考えられず、やむなく少し離れた平和会館を犠牲にすることにしたのでしょう。築30年以上が経ち、細い柱は耐震構造上も支障があったものと思います。
旧館の外観のイメージをそのまま残し、地下部分を増床して、資料館の玄関機能と展示スペースを拡充した平和記念資料館東館として1994年6月にオープンしました。

建築について

  • 平面と立面
  • 平面計画のグリッドプランとスレンダーな柱・梁によるファサードは旧館を踏襲しています。そのため鉄骨を入れて極力柱を細くしています。
    設計コンペ案の原形を尊重するため、要求される諸室の面積オーバー分は地下に埋設することで解決しています。しかし、プラン上無理があり、地下1階の諸室は利用者にとって分かりにくい平面計画となっています。

  • 交通・くつろぎ空間
  • 玄関ホールは明るく広々とした感じを受けますが、くつろげるスペースはありません。団体入場者が来るとたちまちホールは人で溢れてしまいます。
    一方、地下1階のホールは落ち着いた空間となっています。講堂が使われていない時はいつも閑散としています。
    3階の東館から本館に移動する渡り廊下の手前にミュージアムショップと併せて休憩コーナーがありますが、料金を払った観覧者しか利用できません。1階の玄関ホール脇の売店・休憩所も用が無ければ入りにくい感じです。
    全体的にいろいろな機能を詰め込みすぎで、面積配分のバランスに欠けているのではないかと思います。

  • 展示空間
  • 有料部分の常設展示は1階から上階にあり、フリーに入れる企画展示は地下階にあります。観光客等外部の人はフリーの地下階に行くことはないし、逆に地元の人は有料の展示室に入ることはほとんどありません。
    外部の人でも時間にゆとりのある人もいるでしょう。地元の人でも入場料は50円だから、中に魅力的な空間があれば、足しげく通う人もいるでしょう。一見さんと常連客を単純に割り切ってプランを区分しているのは、いかがなものでしょう。
    この施設は営利目的ではなく、世界の人々に平和の大事さを味わってもらうための施設です。一人でも多くの人に展示品を見てもらい、平和への思いを寄せられる配慮がプラン上も求められます。

  • 講堂・図書室・ビデオシアター
  • 修学講習等に利用される地下1階の講堂(メモリアルホール)は300人程度が収容できる小ホールです。
    図書室(情報資料室)は原爆・平和に関する資料や図書を公開しています。自由に利用できますが、地下1階の奥まったところにあり、市民にはほとんど知られていないのが実状です。
    1階にある背中合わせの二つのビデオシアターは原爆記録映画を日本語・英語で上映しています。無料ですが、場所が奥まっているため見る人もなくガランとしています。

  • サービス空間
  • 売店・休憩所が玄関ホールの脇、北側の公園に面してあります。自由に入れますが、売店の利用者しか休めないような雰囲気があります。
    ミュージアムショップが3階にあり、有料観覧者しかアクセスできないのは設計ミスと言われても仕方ありません。

    観覧者の順路ーー提案

    観覧ルート1
    現状の観覧ルート
    赤:本館、青:東館
    (広島市HPより抜粋)
    観覧ルート2
    観覧ルートの改善案
    (広島市HPより抜粋)

  • 現状
  • 東館に入館してチケットを購入し、改札を通って(1階)被爆前の広島、原爆投下の経緯→(2階)戦争・原爆と市民→(3階)核時代、平和への歩み→(渡り廊下)→(本館)被爆の惨状→(本館北側ロビー)→退館する。
    東館の展示中央部吹き抜けに原爆ドームの模型を置き、それを囲むように2階、3階の展示に導く順路を設定している。

  • 問題点
  • ・東館で大半の時間が費やされ、本館の観覧時間が少ない。被爆者の遺品等の実物が展示されている本館が主役であるべき。
    ・本館の展示を見た後、余韻に浸るスペースがない。北側のロビーは通路になっており、心を落ち着かせて物思いにふけることができない。
    ・入口と出口が別棟であることは致命的である。ミュージアムショップは出入口付近に配置し、誰でも利用できるようにすべきである。

  • 改善提案
  • ・東館に常設展示の入口と出口を設置する。
    ・観覧ルートは時代の流れに沿わせる。
    (1階)入り口→ガイダンス→(エスカレーター)→(3階)被爆前の広島、原爆投下の経緯→(渡り廊下)→(本館)被爆の惨状→(本館北側ロビー)休息所、戦争・原爆と市民→(渡り廊下)→(東館3階)核時代、平和への歩み→(2階)瞑想空間→(1階)ミュージアムショップ、休憩所→退館
    ・原爆ドームの模型を除去して、1階→3階のエスカレーターを設置。渡り廊下を拡幅し、「1945年8月6日」行き往復のタイムトンネルとする。
    観覧ルート3 ・本館展示室は東西二つのゾーンに分けて、最後は中央部から北側ロビーに出る。ロビーも東西に二分して、西側は気持ちの高ぶりを沈める休息スペースとする。
    ・東館2階に瞑想コーナーを設置。時間にゆとりのある人は感情を整理し、思いをめぐらす。
    ・1階展示室出口付近にミュージアムショップと休憩所を設置。玄関ホールからも自由に出入り可。

    雑感

    建物の一生にはいろいろなケースがあります。資料館本館のように重要文化財に指定され、永久保存される恵まれた建物もあります。一方、簡単に壊され建替えられてしまう平和会館のような運命もあります。
    新築された東館が平和会館よりも優れていれば、あまり問題にならないのですが、今回の場合はそうではなさそうです。地上階の形にこだわりすぎて全体のプランに破綻をきたしています。利用者にとって使い勝手の良い建物とはいえません。
    結果論ですが、平和会館を残して、国際会議場(1989年完成)を建替えた時に、資料館の拡大の問題を解決しておくのが正解だったのではないでしょうか。
    東館は丹下事務所の設計ですが、丹下健三の作品とはいえません。ほとんど関与していなかったのではないか?と推察します。

    ところで、平和記念資料館は入館口と観覧順路の見直しを行っており、「東館」と「広島国際会議場」をそれぞれ入館口とする2案に絞って、市民の意見を募集しました。9月5日に募集期間は終了し、どんな意見が出ているのかは知りません。それらの意見を参考にして、2009年度までに「広島平和記念資料館展示整備等基本計画」を策定し、新順路を提案することになっています。
    私の提案は「東館」に賛成です。渡り廊下幅の確保と展示スペースのスリム化を図る必要がありますが、入口と出口とミュージアムショップを同一フロアに配置することは譲れません。展示品を削ってでも休息所と瞑想空間は適宜配置する必要があります。

    資料館本館の展示品は何度も目にしたくないと思っていました。見た後は滅入ってしまい、しばらくは落ち込んでしまいます。そのまま退館して平和公園の光景に飛び込むと違和感を感じることがあります。だから、いつも足早に一瞥する程度で通り抜けていました。
    今度改修することによって、地元の人も気軽に入館でき、平和のことを考える場として、日常的に利用できる資料館となって欲しいと切に願っています。

    (参考資料:「広島平和記念資料館更新計画」(2007年1月策定))

      (2008.10.1 記載)   
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