まちづくりひろしま(第7号)より

『平和大通りの成り立ち』

9月15日発行の「まちづくりひろしま(第7号)」に、広島の復興の軌跡(2)「平和大通りの成り立ち」を私が執筆しましたので、ここに全文を紹介します。

平和大通りの成り立ち

    広島のまちを特徴づけている平和記念公園、平和大通り、河岸緑地等について、過去の文献等を参考にしながら分かりやすくシリーズで紹介する。
      今回は平和記念公園とともに広島のまちのシンボルである平和大通りを取り上げる。  

     
  1. 百メートル道路計画のスタート
  2.  百メートル道路は、東の鶴見町から西の福島町までの3.570mの幅員が100mあったことから、そう呼ばれた。
      1946年の広島復興都市計画において、市内のほぼ中央部を東西に横断する百メートル道路計画が決定されるが、大幹線道路としてではなく、防災道路、特に緑地帯として計画された。
      全国の被災都市でも24本計画されたが、実現したのは名古屋市の2本と広島の1本だけである。1946年11月に小町(中区)付近から整地が始まり、1948年6月には小町・中島間の整地が進む。
      
  3. 平和大橋、西平和大橋の建設
  4.  
    平和大橋
    平和大橋「昇る太陽」
    百メートル道路にかかる4本の橋のうち、平和記念公園へのアクセスとなる元安川と本川にかかる橋の欄干は日系米国人のイサム・ノグチが設計する。丹下健三の推挙による。
    欄干はコンクリート打ち放し仕上げで、元安川側は日の出「昇る太陽」を、本川側は日の入り「和船の舳先」を表現している。橋の名前は1951年11月に一般公募により、「平和大通り」と共に、元安川を「平和大橋」、本川を「西平和大橋」と命名される。両橋は1952年3月に開通する。
      
  5. 百メートル道路論争
  6.   
    平和大通り1955
    1955年頃の百m道路
    百メートル道路も順調に整備された訳ではない。なぜこんな広い道路が必要なのか多くの批判や不評にさらされた。
    一番の危機は1955年の市長選挙の時である。「これまでの都市計画を見直す」をスローガンに立候補した渡辺忠雄が、百メートル道路の再検討を公約にして当選した。これまで推進してきた浜井信三市長のよもやの落選である。
    新市長は百メートル道路の幅員を半分にし、残り半分に公共住宅を建設すると公約していたが、実践することはなかった。   
      
  7. 供木運動
  8. 供木
    供木による植樹
    渡辺市長が実施したのが「供木運動」である。その頃、百メートル道路もようやく道路の形態を整え始めたが、殺風景な状態である。
    広島市は1957年2月に緑化推進本部を設け、県下に12万本の樹木の提供を呼びかけた。まだ被爆の記憶が鮮明に残る頃である。
    「広島の地を永遠の緑で覆われた平和郷に」という市の呼びかけに、県内各地から惜しみない協力が寄せられた。1957年から58年にわたって展開された大規模な供木運動により、百メートル道路にも約6.000本の樹木が植えられ、その景観は一変する。
      また、供木運動は様々に揺れた百メートル道路の利用論争に終止符を打ち、平和記念都市建設の理念を象徴する存在に変わる契機となった。その後も全国から、世界から多数の供木が寄せられた。   
      
  9. 平和大通りの全通
  10.   
    平和大通り1958
    1958年頃の平和大通り 平和大通り現在
    現在の平和大通り
    整地が済んでも未舗装のため雑草が茂り、昼間でも人通りは少なかった。本格的な舗装工事は1957年から着手し、1958年から供木運動による植栽が始まる。
      緑地帯には近場で原爆の犠牲になった組織・団体等の慰霊碑や石灯篭が建立される。また、エスキーテニス・コートが設けられたり、ベンチが置かれたり、市民の憩いやくつろぎの場となっていく。
      平和大通りが比治山から己斐まで全面開通するのは1965年5月であった。緑が立派に生い茂り、高層ビルが立ち並ぶ今の光景は1990年代にできあがった。毎年、1月には全国都道府県対抗男子駅伝がスタートとゴール地点としてこの通りを走り抜け、5月にはフラワーフェスティバルで180万人近い人が集まり、11月からはひろしまドリミネーションで彩られる。
      市民に親しまれている平和大通りだが、まだその潜在能力を十分に発揮しきれているとはいえない。   

      *「広島被爆40年史・都市の復興」等の文献を参考とする。   

雑感

最近、平和大通り沿いに高層マンションが建ち始めています。郊外の団地から生活の便の良い都心に住まいを移す人が増えており、目の前に緑豊かな環境を備えている平和大通り沿いは人気が高いと思います。
近くに住む人が増えれば、大通りの緑地帯に足を運ぶ人も増えるでしょう。すでにホテルやレストラン等の店の前でオープンカフェが開かれているときがあります。また、定期的に朝市も開かれています。
  フラワーフェスティバルやドリミネーションのような大々的なイベントも良いが、日常的に利用される親しみやすい空間が求められています。地下空間の利用も含めて、平和記念公園と一体となった平和記念都市にふさわしい平和大通りの在り方が問われています。

*ちょっとコーヒーブレイク : 『「平和記念都市ひろしま」

  (2013.12.15 記載)   
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