世紀を刻んだ歌:「ヘイ・ジュード」

タイトル

2000年に放映されたNHKの番組がBS20周年ベスト・コレクションとして2009年10月に再放送されました。
1968年に発表され、ビートルズ最大のヒット曲「ヘイ・ジュード」が、当時共産圏の国チェコでどのような運命をたどったかを追ったユニークなドキュメンタリーです。
チェコの女性トップ・シンガーであったマルタを通して、いかにして革命のシンボル曲となったか、その背景を丁寧に描いています。
ただ、録画ミスにより番組の前半しか再生できなかったのですが、この感動的なドキュメンタリーを私なりに咀嚼して紹介することにします。

あらまし

インタビュー 「プラハの春」と謳われていた1968年8月、突如ソ連軍がチェコの首都プラハに進攻します。その理不尽さに怒り、当時アイドル・スターであった歌手マルタは闘う女へと変身します。「ヘイ・ジュード」をチェコ語でカバーして、その歌に込められたメッセージにより、革命のシンボル曲として民主化を求める原動力となり、21年に亘る長い戦いの末、自由を取り戻しました。
マルタ本人へのインタビューを中心に据え、チェコの戦後から民主化を遂げる1990年までの時代の変遷を描写します。全く別の視点から日本人の評論家と詩人の二人が対談し、「ヘイ・ジュード」とマルタについて客観的に評価します。この歌の意味とチェコにおけるこの歌の価値が見る側によく伝わってきました。再生が途中で切れたのは誠に残念です。

内容

  • 「ヘイ・ジュード」とは
  • ジュリアン
    ポールと手をつなぐジュリアン
    ・1968年にジョンは前妻と別れ、ヨーコと結ばる。前妻との息子ジュリアンが悲しみに落ち込んでいるのを見て、励ますためにポールが作った曲である。
    ・1968年7月に録音。ビートルズが設立したばかりの会社アップルから8月末に最初のレコードとして発売。世界中で大ヒットし、チェコでも隠れて聴かれる。
    ・1990年1月、自由を取り戻したプラハの町でマルタの「ヘイ・ジュード」が頻りに流されている。なぜ?

  • プラハの春
  • マルタの祈り
        
    ・1966年には改革派のドプチェク氏が頭角を現し、閉塞的な共産主義の社会体制から自由化への道が開かれる。
    ・言論・表現の自由も広がり、若いアーチストも才能を開花させる。その頃、マルタも3人組のポップス・グループとして歌手デビュー。1968年にはソロとして代表曲「マルタの祈り」をヒットさせ、一躍トップ・シンガーに登りつめる。
    ・雪解けの時期になぞらえて、1968年頃のチェコを「プラハの春」と呼ばれる。

  • ソ連軍のチェコ侵入
  • チェコ侵入
    ・1968年8月21日、60万人のソ連軍が突如チェコの首都プラハに侵入し、1日で町を制圧する。
    ・戦車や装甲車が走り回り、抵抗する市民に威嚇射撃。その様子が国営放送で流される。抵抗の最後の砦だったラジオ放送局にも突入し、緊迫した銃声の音やアナウンサーの叫びがラジオから流れる。
    ・一部始終を見ていたマルタは一夜にしてアイドル・スターから戦う女に変身する。その姿は祖国の自由を守るために戦ったジャンヌ・ダルクにたとえられる。
    ・反骨精神のメッセージ・ソングとして、「ヘイ・ジュード」をカバーするが、受難の始まりの賭けでもあった。

  • マルタの生い立ち
  • デビュー
    歌手デビュー
    結婚
    結婚式
    ・1942年生まれ。取材時は58歳で、当時もチェコの国民的な歌手。
    ・1945〜1948年 : ナチスから解放され、第2次共和制の平和な時代。
    ・1948年〜 : 共産党政権の暗く重苦しい冬の時代。血の粛清が行われていたスターリン独裁体制のソ連の支配下。
    ・マルタの少女時代は工場で義務労働。過酷な労働条件のガラス工場で3年間勤務。
    ・1966年にレコード会社のプロデューサーにスカウトされ、プラハに出てレコード・デビューする。チェコでは改革派のドブチェク氏が勢力を拡大。
    ・当時、ビートルズが世界を席巻し、マルタも彼らのファンであった。但し、チェコ共産党からは西洋文化を象徴する好ましくない歌として白眼視される。若者は裏ルートでレコードを入手し、隠れて聴く。
    ・1968年はプラハの春と呼ばれる。マルタもソロ歌手として発売した「マルタの祈り」が大ヒットし、一躍、国民的歌手となる。時代の英雄として崇められていたドブチェク書記長もマルタのファン。
    ・この年に映画監督と結婚。夫は反体制の社会派映像作家であり、マルタも感化されてメッセージ性を持った歌を歌うようになる。

  • 1968年8月21日以降
  • ・マルタの夫はソ連軍の暴挙を撮影したビデオ・テープの国外持ち出しに成功。その映像が侵略の事実を全世界に初めて伝え、国際的な非難が湧き上がる。
    ・1968年9月、ドプチェク書記長は失脚し、モスクワに移送される。言論弾圧が厳しくなり、知識人に1.共産党を支持するか、2.永遠に国を捨てるかの選択を迫る。多くの人が共産党支持に廻るなか、マルタは第3の「戦う」道を選ぶ。
    ・1968年10月、マルタはアルバム「ソング・アンド・バラード」の制作の準備を進める。オープニングに美しいバラードを入れて、チェコ国民に勇気と希望を与えたいと思う。その時、「ヘイ・ジュード」と出会い、チェコ人にだけ分かる暗号のメッセージを歌詞に込めてカバーする。
    アルバム
    ・1969年10月にアルバムを発表し、「ヘイ・ジュード」をシングル・カット発売すると、チェコ史上空前の大ヒット(60万枚の売り上げ)となる。発売禁止になっても、地下でひそかに歌い継がれる。
    ・アルバムの一曲「ママ」のクリップ・フィルムでは、釘を打ち付けられた血まみれの人形を抱いて歌い、明らかにソ連軍に対する痛烈な批判を表している。マルタの周囲に筋金入りの活動家が集まり、ソ連に反感を抱く多くの市民や学生から支持を受ける。
    ・1969年10月、その影響力を恐れた当局からマルタに出頭命令が下され、主に「ヘイ・ジュード」の歌詞について尋問を受ける。
    ・1970年1月、音楽界からの永久追放が決定。すべてのレコード発売と表現活動を禁止される。生活が窮乏し、袋貼りの内職を始める。

  • マルタの「ヘイ・ジュード」
  • ヘイジュード
    ・ジュードをチェコの少女に置き換え、片方の少女がもう一人の少女を勇気付けるという会話形式の歌。
    ・歌うことで世の中を変えようという独立と反抗の気持ちを込める。
    ・マルタの「ヘイ・ジュード」和訳の一部
    「韻」の終わりがある / すべての歌の終わりには
    「陰」があって / 私たちに教えてくれる
    人生はすばらしい / 人生は残酷
    でもジュード / 自分の人生を信じなさい
    人生は私たちに / 傷と痛みを与え
    時として傷口に塩をすりこみ / 杖が折れるほどたたく
    人生は私たちをあやつるけど / 悲しまないで


  • 録画ストップ
  • 最後の画面     
    右の「前夫のインタビュー」画面で録画は止まる。その後の展開は、夫とも別れ、マルタの周囲に集まった活動家と共に、チェコの民主化を勝ち取るまでの戦いを描いていたと思う。
    旅先のホテルの一室でこの番組を見たが、自宅のテレビ録画を予約していたので、気楽に見ていた。そのため、後半の内容はあまりよく覚えていない。

印象に残るシーン

  • ソ連軍の進攻
  • 戦車
    「プラハの春」として自由化が進むチェコにソ連が脅威を覚えたようである。突然、戦車のキャタピラー音が轟いた時には市民も驚いたようだ。
    マルタも母親から「チェコが占領された」と聞いた時、咄嗟に「アメリカ軍がチェコを解放するために来たのか」と思ったらしい。まさか同盟国のソ連軍が侵略してくるとは誰も予想していなかったに違いない。

  • 「ヘイ・ジュード」の弾き語り
  • 弾き語り
    ストーリーの節目に「ヘイ・ジュード」の弦楽器による演奏やグループによるアカペラ等が挿入されているが、この青年のギターの弾き語りが一番印象的。
    屋上のパラペットに腰をかけ、陽を浴びながら伸びやかに歌う。英語で歌っているからイギリス人か?水路際に建つレンガ積みのアパートの町並みはイギリスか、チェコか?

  • 「ママ」のクリップ・フィルム
  • クリップ・フィルム
    アルバム「ラブ・アンド・バラード」に収められた一曲で、宣伝用に作られたフィルムであろうが、市民の目に届いたかどうかは分からない。
    戦場の廃墟の中を人形を抱きかかえ、歩きながら歌うシーンが撮られている。その人形は多数の釘を打ち付けられ、血に染まっている。歌い終えたマルタは戦車に乗って去っていく。ソ連軍に対する批判であることは一目瞭然である。

  • 二人の対談
  • 対談
    ナビゲーターのロバート・ハリス氏と作詞家・詩人の森雪之丞氏のトークにより、ポイントを掘り下げる。
    ビートルズはスタンダードになりやすい名曲か意欲作が多いが、この曲は明らかに名曲を狙っている。洗練された完成度の高いバラード。マルタの方が歌詞は詩的だが、原曲は英語の言い回しがきれいだ。特に、「Take a sad song and make it better」の「 a sad song をTakeして、それをよくしていこう」という箇所。
    例えば、悲しい歌をブルー一色で表現するのではなく、ブルーの中に情熱的な赤があった方が、より悲しさが引き立つ。
    「ママ」の映像は自己破壊的で闘争心の塊だが、アート魂がうずいた結果の作品として評価したい。

雑感

受賞

この番組はビートルズのヒット曲からチェコの民主化を願う話へと展開する構成と表現力が評価され、ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)賞・優秀賞と放送文化基金賞・本賞を受賞しています。どんな賞かよく承知していませんが、「ヘイ・ジュード」に秘められた数奇な人間ドラマは見る人に感動を与えます。

多くの著名人がチェコ共産党に迎合したのに、なぜマルタは戦う道を選択したのでしょう?トップスターの座を追われ、社会的に抹殺されながらも、なぜ耐え抜くことができたのでしょう?若い頃から反体制を標榜していた最初の夫の影響もあったでしょう。歌手デビューするまでの抑圧された共産主義社会から西洋の自由主義への憧れがあったかもしれません。チェコの人々に自由と民族の尊厳を取り戻すために、マルタの唯一の武器である歌によって戦いました。

ビートルズもこの歌がチェコでこんな数奇な道を辿っているとは想像すらしなかったでしょう。ジュリアンを励ます歌が、ジョンは自分を励ますために作られた曲だと思っていたと述懐しています。恐らく、「悲しい歌を歌って、それをよくしていこう」というフレーズが多くの人を勇気付けたのではないでしょうか。マルタも「ヘイ・ジュード」のメロディに乗せて、チェコの人々を鼓舞しようとしました。歌にはこんなにも素晴らしいパワーがあることを誇らしく思います。

今回の紹介は前半の「マルタの音楽界からの永久追放」で終わっています。その後、仲間達とどんな抵抗を繰り広げて、血を流さずにチェコの民主化を勝ち取っていったのか?マルタの「ヘイ・ジュード」がどうして革命のシンボル曲となっていったのか?は想像してもらうしかありません。録画ミスが悔やまれます。

*ちょっとコーヒーブレイク : 『生きていこう

  (2010.3.15 記載)

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