広島原爆死没者追悼平和祈念館

上空写真
上空より(祈念館HPより)

平和公園に建つ資料館・資料館東館・国際会議場の3つの建物を紹介してきました。平和大通りに平行に並ぶ建築群と直交する原爆ドーム・慰霊碑・資料館の配置は完結された伽藍のような神聖な空間でした。
他のものが入り込む寸分の余地もないと思われていた公園に、新たに今回取り上げる原爆死没者追悼平和祈念館が建設されました。当然、賛否両論があり、広大名誉教授佐藤重夫先生(故人)は反対の論陣を張られました。
開館して既に6年が経っていますが、私もこの建設の一時期関わりを持った身として、冷静にこの建物を評価してみたいと思います。

追悼祈念館
遠景
追悼祈念館
配置図(祈念館HPより)
追悼祈念館
地下1階平面(パンフより)
追悼祈念館
地下2階平面(パンフより)
追悼空間
追悼空間(HPより)
近景
近景
入口部
入口部
玄関
玄関(左側スロープへ)
スロープ
スロープ(追悼空間へ)
遺影コーナー
遺影コーナー(B2F)
(追悼空間を出ると)
エスカレーター
エスカレーター(B2→B1)
情報展示コーナー
情報展示コーナー(B1F)
体験閲覧室
体験閲覧室(B1F)
出口部
出口部
屋上庭園
屋上庭園

建物概要

  • 設計は丹下健三都市・建築設計研究所/中国地方整備局営繕部
  • 2002年3月竣工、8月開館
  • 鉄筋コンクリート造地上1階地下2階建
  • 延べ床面積は約3.100?
  • 管理運営:(財)広島平和文化センター

建設の経緯

1994年12月に「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が成立しました。「恒久の平和を祈念し、原爆による死没者の尊い犠牲を銘記する」旨が謳われた前文と共に第41条に「平和を祈念するための事業」が規定され、国により広島と長崎に原爆死没者慰霊施設が建設されることになりました。
1995年2月には施設の機能・構成・管理運営等が盛り込まれた「原爆死没者慰霊等施設基本計画検討報告書」が策定され、同年11月に「原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会」が設置されます。
どこに建設するか検討がなされた結果、平和公園内しかないという結論に達したのでしょう。建設しないという選択肢は法律ができた以上、困難だったものと思います。
1995年度から国(厚生労働省所管)の施設ということで、厚労省から国土交通省に支出委任され、中国地方整備局営繕部が建設を担当することになりました。設計者は平和公園の設計者である丹下健三氏が主宰する設計事務所に特定されます。
残念なことに丹下氏は高齢で、すでに第一線を引かれていました。どの程度関与されたかは不明です。公園内に建てるには現在地の他は無く、極力地上に形を出さないという基本方針で設計されました。各段階で「開設準備検討会」に諮り、承認を得ながら設計作業を進めなければなりません。
1996年度に概ね基本設計が了承され、1997年度から実施設計に着手します。1999年10月に工事が発注され、2002年3月末に完成します。

建築について

  • 平面と立面
  • 施設に収められる機能と規模は事前に「基本計画検討報告書」にまとめられています。およそ3.000?のボリュームを地下に埋設し、地上は極力目立たせないようにするため、地上レベルの屋根を植栽等で覆っています。地上に飛び出しているEVシャフトはガラスで囲い、風景に溶け込むようにしています。
    入口部は明確でなければならないので、アイストップとして壁を立ち上げ、開口部から追悼空間のトップライト(8時15分を表示)が目に入ります。
    主な部屋としては、B1Fに研修室・体験記閲覧室・情報展示コーナー、B2Fに事務室・追悼空間・遺影コーナー・設備諸室等を配置しています。

  • 交通・くつろぎ空間
  • 玄関と出口はB1Fレベルに設定し、一気にB2Fの追悼空間に導きます。遺影コーナーを経てB1Fに上がり、情報展示コーナーに立ち寄って外に出る動線です。
    通路はあっても、交通部分にくつろげるスペースはありません。一休みしたい時には、各部屋やコーナーで腰掛けて時間を過ごすことになります。
    残念なのは、感想を記述する場所が出口の脇にあり、一つの机と椅子が置かれているだけの殺風景なことです。もう少しゆったりした気分で思いを巡らせる設えが望まれます。

  • 追悼空間
  • この施設は追悼空間が主役です。そこに至るまでの物語性を発揮する必要がありますが、必ずしも成功しているとは言えません。B1Fの玄関からB2Fの追悼空間に導くスパイラル状のスロープを反時計回りにしたからといって、現在から被爆時に遡る気分にはさせてくれません。両側の壁が段々深くなっていくスロープを進むことにより、どんな空間が開けてくるのか期待を持たせますが、残念ながら期待は裏切られます。薄暗い空間の中に、ぼやっとした被爆後の街並みのパノラマを見ても、何も感じない人が多いのではないでしょうか。
    といってあまりにリアルでインパクトが強すぎても、被爆者の心情を考えれると抵抗があります。死没者を追悼する空間としては、すぐに宗教的な荘厳な空間を思い浮かべますが、見る側の心の持ちように関わる問題ではないかと思います。死没者を追悼する気持ちがあれば、無の空間でも立派にその役割を果たします。この追悼空間も人を驚かすような仕掛けは無いけれど、何度も訪れているとその良さが伝わってくるような気がします。

  • 遺影コーナー・情報展示コーナー・体験記閲覧室
  • ・追悼空間を出ると遺影コーナーが目に入ります。大型モニターには死没者の顔写真と氏名が映し出されますが、一般の人には興味がありません。関係する人だけが静かに偲べる環境が望ましく思います。
    ・情報展示コーナーでは被爆体験記を中心に展示し、映像が流れ、気軽に立ち寄れる雰囲気になっています。より詳しく知りたい人は体験記閲覧室に入って閲覧・視聴することができます。

  • サービス空間
  • トイレが利用できる程度で軽食や喫茶・売店等のサービスはありません。用が済めば居る場所も無く、入館者の滞在時間は短いと思われます。

    問題点と改善提案

  • 現状
  • 2007年度の実績で、資料館が年間約130万人の入館者に対して、追悼平和祈念館は約21万人が訪れています。多いとみるか少ないとみるか、意見が分かれるところです。
    観光客等の一般の人が入館しても、感慨の湧かない人が多いと思います。被爆関係の入館者の評価はよく分かりません。
    リピーターの人にはこの施設の趣旨が段々と理解され、良さが味わえるようになります。

  • 問題点
  • ・追悼空間は語らずとも、体感させてくれるものが望まれますが、それがありません。トップライトから一筋の光が差し込めば、この空間も引き締まるのでしょうが。
    ・遺影コーナーは開放され過ぎて、関係者にとっては周りに気が散ります。アルコーブのように少し閉ざされた空間が落ち着きます。
    ・情報展示コーナーは良いにしても、体験記閲覧室は少し広すぎます。面積を一部カットして、退館前の休息と感想を記述できるスペースを確保することが望まれます。

  • 改善提案(一私案)
  • B2改修 B1改修 ・玄関ホールにガイダンス・コーナーを設けます。入館時にパンフレットを手渡すだけでなく、ビデオ画像を流して事前に建物の趣旨が分かるようにします。追悼する気持ちのない人が入館しても、恐らく何も感じないのではないかと思います。
    ・追悼空間には円形状に座席を設けます。素通りするのではなく、一度座って思いに耽る環境を整えます。中央にはトップライトから降り注ぐ光の束(光線)を設置します。
    ・遺影コーナーはガラススクリーン等で仕切りをします。
    ・体験記閲覧室を一部カットして休憩コーナーを設け、そこから退館するプランに改修します。建築の動線が短絡的過ぎて、入館者が素通りしてしまいがちです。特に、B2FからエスカレーターでB1Fに上がると、目の前に出口があるのはいただけません。
    ・休憩コーナーには感想を記述できるスペースを確保します。また、ドリンク等の自販機を設置し、一息つけるようにします。

  • 3建築との位置づけ
  • 平和大通り側の3建築とは距離的に離れているので、単独で完結した機能を兼ね備える必要があります。また、国が国として「平和祈念・死没者追悼」の意思を表明した施設であることをアピールする必要があります。といっても、市民にとっては国の施設であろうと市の施設であろうとあまり関係ないのでしょうが。

    雑感

    丹下健三氏(1913年生〜2005年没)はこの施設の設計(1995年度〜1998年度)には、ほとんど関与されていないと思います。もし健在で、自らが設計に取組まれていたとしたら、どんな追悼空間になっていたでしょうか。

    恐らく、地下に埋設することに異論は無かったと思います。東京カテドラルのような高揚する空間を地下に作ったでしょうか。コストがかかり過ぎます。建設用地が狭いので、コンパクトに最大の空間が確保できる円形プランの採用には賛同してもらえたと思います。
    現在は円形の中心に集中するプランになっていますが、丹下氏なら円形プランでも直線のトップライトを原爆ドームの軸線に向けたであろうと思います。そうすれば太陽光線を内部に取り込むことができます。

    明日の神話 壁面のデザインはどうだったでしょう。今の被爆後のパノラマ風景は被爆時の原点に立たせようという意図ですが、デザイン力が弱すぎます。丹下氏ならば、デザイン力のあるアーチストの協力を求めたことでしょう。
    例えば、岡本太郎の壁画「明日の神話」は原爆の炸裂した瞬間を描いた大作(縦5.5m、横30m)ですが、テーマがピッタリ合致しています。レプリカでもいいから、この壁面に合わせて展示してはどうかと一市民として提案します。

    広島の追悼平和祈念館は我が国で始めての施設であり、設計の各段階においても開設準備検討会で議論がされましたが、メンバーに建築家が入っていないため、なかなか的確な結論が出せなかったようです。中間報告を公表したり、地元や被爆団体等からの意見を徴集したり、いろいろと民主的な手順を踏んでいますが、最終的には設計者が検討会メンバーを納得させるだけの提案を出せるかどうかが問われます。丹下健三氏不在の丹下事務所にはちょっと荷が重かったように思います。
    1年遅れで完成した長崎とよく比較されますが、建築的には栗生総合計画事務所が設計した長崎の方に軍配を上げる人が多いようです。私は長崎を見ていないのでジャッジのしようがありません。なお、広島は2008年度の公共建築賞の優秀賞を受賞しています。

    参考原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会最終報告(厚生労働省)

      (2009.1.15 記載)   
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