ショー「LOVE」の発端
この物語はジョージとシルク・ドゥ・ソレイユの創始者ギー・ラリベルテの出会いから始まります。2000年、ジョージがギーに「ビートルズの楽曲を使ってパフォーマンスをやってみない?」と誘い、ギーも乗り気になりますが、2001年11月にジョージは他界します。
亡くなる直前にジョージはポールとリンゴを病床に呼び、この企画を二人に託します。
シルクのショウは生演奏が原則でした。機械の故障等のトラブルに臨機応変に対応できるからです。しかし、他のミュージシャンがビートルズの楽曲を演奏したのでは、ビートルズとシルクの協働ではなくなります。
そこで、ビートルズの音源をフルに活用した新たなビートルズ音楽を創作して、パフォーマンスのバックミュージックに仕立てていくことにします。ここにビートルズとシルクの共同プロジェクトが始まります。
主な登場人物
この映画はアップルとシルク・ドゥ・ソレイユの共同プロジェクトであり、両者の関係者がインタビューに答えています。・ビートルズ・ファミリー・・・ポールとリンゴ。故人となったジョンとジョージの代理は妻のヨーコとオリビア。ジョージの息子ダニーも顔を出している。
・ジョージ・マーチン親子・・・ビートルズの楽曲のほとんどをプロデュースしたジョージ・マーチンと息子ジャイルズ。高齢になったマーチンをジャイルズがサポートする。
・アップル・・・当時のアップル経営責任者ニール・アスピノールは、ビートルズのデビュー時からの友人で、今は故人。
・シルク・ドゥ・ソレイユのチーム・・・創始者のギー・ラリベルテ。監督のドミニク・シャンパーニュ。映像監督のエイドリアン・ウィリス。出演者他。
・その他・・・会場となるラスベガスのミラージュ・ホテルの経営者他。
ドキュメンタリーの内容
- イントロ
- モントリオールでの稽古
- 第1回の舞台稽古
- ラスベガスへ
- ストリング・セッション
- ポールの訪問
- 初の本番稽古
- プレミアと初日のハイライト
キャバンクラブ
・シルク側はビートルズの楽曲をアレンジして彼らのバンドに生演奏させるつもりだったが、アップル側は断固拒否する。マーチンはビートルズの音源を使って90分のショーのための音楽を頼まれる。
・シルク・チームはビートルズゆかりの地を見学する。巡礼気分だ。初期の頃、監督ドミニクはビートルズをテーマにしたショーは不可能ではないかと不安がよぎる。
初日300日前の稽古風景
・監督ドミニコは「ビートルズの結成から解散までを表面的になぞるのではなく、感情を呼び起こす『ロックン・ロール・ポエム』だ。」と語る。
ヨーコとオリビアがあいさつ
・シルクとしては創作の自由を確保したいが、ビートルズ側との調整が必要。
・「学生時代の写真を見る時、誰しもまず自分の姿を探す。ビートルズの面々も自分のエリアを守ろうとする。」(ジョージ・マーチンの言)。人間心理としては当然のことだ。採用曲数はジョンが14曲、ポールが13曲、ジョージが4曲、リンゴが1曲。バランスに配慮。
・ヨーコとオリビアがドミニコに注文をつけている。ヨーコはジョンの、オリビアはジョージの代弁者として真剣そのもの。ビートルズには一人でも反対すれば、やらないというルールがある。
会場のミラージュ・ホテル
・出演者達も上演会場に立つことにより、やる気がみなぎってくる。ドミニクもメンバーを集め、ショーを成功させるための心構えを説く。
・初めに結果が出せなくとも、やり続けることにより成功させてきた。観客を幸せにしたいというショーマンシップを発揮。
ストリング・セッション
・マーチンがスコアを書き、ロンドンのエア・スタジオで最後になるであろうストリング・セッションの指揮をとる。
・初日70日前、機械が故障し、演技の練習を中断。未完成の段階で、ポールに見せていいものか否か、議論が噴出する。
ポールが激励
・稽古の途中、機械の故障で演技が中断する。その間、ポールとマーチンは思い出話に花を咲かせる。この舞台が丸いことをきっかけに、「ビートルズの最初の米国ツアーで、唯一ワシントンの会場が円形のステージであり、後ろの人のため何曲かごとに向きを変えて演奏したこと」等を披露。
・「どの曲も作った時にはささやかな小品だったものが、こんな風に表現されるなんて驚きだ。」とポールの感想。
・ポールはシルクのパフォーマンスに満足。終了後、メンバーに向かって「だが、もっと頑張れ」と檄を飛ばす。
注文をつけるヨーコ
・ヨーコは「カムトゥゲザー」の振り付けに文句をつける。「政治的に団結しようという曲だから、男に媚を売るような卑猥な動きは似合わない」。私達は夫の曲を守る立場にある。
・オリビアはシルクのスタイルがミュージカル風に変わったことを心配するが、ギーは「ビートルズとのコラボだから、観客は音楽を期待していると思う」。
ショーの断片
・リンゴは初めての鑑賞。ポール、ヨーコ、オリビアは何度かプレショーを見て、意見を出している。
・ポールとリンゴが並んで鑑賞し、時々顔を寄せ合っている。ビートルズ時代の思い出が蘇ってくるのであろう。ショーが終わるとビートルズ・ファミリーは舞台に上がり、ポールが「ジョンとジョージに今一度拍手を!」と叫ぶと、万雷の拍手が鳴り止まない。
ボーナス映像
- 音源のコラージュ
- 劇場の音響
- メイキング・ラブ
マーチン親子の作業
・すべてのオリジナル・テープをデジタル化し、録音された音源をバラバラに解体し、それらを再構築して新しい楽曲を作る。
・「ウイズイン・ユー・ウイズアウト・ユー」の後ろで「トゥモロー・ネバー・ノウ」のドラムが鳴り、別の曲のギターや違う音が重ねられていく。
・「ビートルズは精神のアクロバット、シルクは肉体のアクロバット。二つが合体して完全になる」というヨーコのコメントが印象的である。
劇場内部
・音楽に合わせて大量の映像が流れ、パフォーマンスが繰り広げられるので、映像を補強し、ショーを盛り上げるために今回の音楽は作られている。サウンド・トラックか。
採用されたシルエット
・ビートルズのスタジオでの録音中の会話が残されており、その会話をシルエットを使ってショーに取り入れている。彼らの軽口が観客をほっと寛がせたのでは?
・「ドキュメンタリーは不要で、彼らの世界に観客を運べばよい」というショーのコンセプト。
雑感
ビートルズのルールは多数決でものを決めないことです。3対1でも、一人が反対ならやらないといいます。これは4人が対等でお互いを尊重していた証拠です。解散前後のトラブルは例外です。
昨年、1967年に録音した「幻の曲」を41年振りに発表する意向をポールが表明しましたが、オリビアが反対して没となりました。その曲はアルバム「アンソロジー」に収録する案がありましたが、ジョージが「冒険的過ぎる」と拒否してお蔵入りとなった経緯があります。オリビアはジョージの意向を汲んで、「ダメ出し」をしました。
今回のショー「LOVE」もヨーコとオリビアの存在が光ります。ジョンとジョージの立場を守るために、しっかりと自分の意見を主張しています。夫の業績・考え方をよく理解し、やや控えめながらもポールやリンゴと対等に振舞っている姿勢は立派としか言いようがありません。
もしジョージが生きていたならば、ビートルズとシルクのコラボレーションはどんな形になっていたでしょう?もともとこの企画はジョージが発案し、他のメンバーの了解まで取り付けて、音楽をどう扱うかを決める前にジョージは他界してしまいました。
ビートルズの全楽曲をつないで一つの作品にしようというアイデアは昔からあったようです。4人が健在なら、シルク用に新たに作曲したかもしれません。ビートルズの音源をコラージュにして一つにまとめたアイデアはベリー・グッドです。今回のコラボでシルクのショー「LOVE」とその副産物としてビートルズの新作アルバム「LOVE」が誕生しました。
ビートルズはもはや実在しませんが、ビートルズの遺産を使った新企画がこれからも出てきそうです。英国のある大学ではビートルズを研究する学科コースが新設されたという話も聞きます。次にどんな企画が登場するか楽しみです。私の中でのビートルズ展開は如何に???それにしても、ショー「LOVE」は一度は見ておきたいものです。
(2009.7.1 記載)